森と都会に囲まれて (6) 明治を歩く・2

水曜深夜のラジオ番組を昨日聴くの忘れてて(他に摂取したコンテンツがよすぎて予定ふっとんだ)やっと聴取。今回は毎度の名古屋、先月は札幌と、遠隔地の特番が地味に結構続いている。こりゃ40周年完結までは radiko 課金継続やな。
さて引き続き盆の明治村から。

明治村というくらいなので明治期の建物が多数保存されているのだが、中には意外な背景を持つものもある。

立派な教会。聖ザビエル天主堂、もとの所在地はまさかの河原町。京都にこれ建ってたらびっくりですわ。古都と呼ばれつつ地味に新し物好きな側面の反映か。

中も大変立派で、ヨーロッパ各地の同規模のものと遜色ない雰囲気。

園内の各エリアは「◯丁目」と呼ばれており、北から入った我々は5丁目から遡っていく形。次は4丁目。

へぇ、昔はこんなんやったんか。呉服座という名前の大衆演劇場は北摂に現存しており、これはその祖先にあたる。

その先には、一転してハイカラで端正な左右対称の建物。宇治山田郵便局とわかって一気に納得。宇治山田といえばあの豪勢な駅舎。お伊勢さんの威信が郵政にも及んだと考えればとても自然なことやね。

付近にあったどでかい建物は、新橋にあった鉄道の車庫。文明開花つながりで工業機械の展示場として使われていた。明治の工業といえばやっぱり製糸場ですよねー。

西洋医学の導入に伴って、近代的な病院も造られた。

陸軍の病院で展示されていたのは、X 線装置の国産品。今のレントゲン撮影装置とは似ても似つかないけど、当時はさぞ画期的であったろう。

絶対どこかの映像作品でロケしてるよな、と勘づくような、元病院系の建物がいくつも並んでいた。

カフェで軽くランチをとって散策再開。

第四高等学校(=金沢大)の道場は、室内をのぞいて驚いた。

柔道場と剣道場が壁なしで直結。あれ、確か高校の道場がこんな感じだったような? といっても、道場を使う科目がなかった女子ゆえに記憶は曖昧。さすが伝統校は違いますな、と旦那さん。

3丁目はあとで回ることにして、先に2丁目へ。と、ここで想定外の展示物が。

いかにも明治っぽいこの電車。名電1号形と呼ばれていて、名鉄を引退した後に札幌市に引き取られた。それを、この10年ばかり借りてきて「里帰り」と称して飾っていたらしい。しかも23年の夏休みとともに展示終了(札幌へ返還)。何も知らない当家、ギリギリで間に合っていたことになる。

では改めて2丁目を歩こう。ゆるやかな上り坂の両岸に、いろんな建物が並ぶ。

入口に構えるのは札幌電話交換局。せっかくなので電話に関する展示も拝見、トトロっぽい昭和の電話機が注目を集めていた。

この周辺では「ハイカラっぽい貸衣装」が展開されており、若い人たちに人気な模様。袴は大学の卒業式で着たのでもういいです(ウエストの締め付けがきつすぎて謝恩会の料理もろくに入らなかった苦い記憶)。

坂のつきあたりに東山梨郡役所。

その傍らに清水医院。土蔵のようでいて開口部の処理がしゃれている。

待合は畳敷、奥の診察室は板張りに椅子置き。いろいろと和洋折衷感が興味深い。

向かいにはこれまた第四高等学校の建物。物理と化学の教室だというが、こちらでもまた驚いた。

階段教室。高校の理科系教室まんまやん。こっちは間違いなく記憶と一致。うちの高校校舎(当時)はせいぜい戦後のものだったはずだが、基本構造は明治時代の学校を踏襲していたということか。さすが伝統校は違いますな、と旦那さん(2回め)。

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