高架下の証人たち・西日本編 (3) 路上の骨董

建築中のご近所さん、下階と上階がまったく違う色であることが判明。建物の外観って結構時代出るよね。と、通りすがりのマンションの年代測定を勝手にやる癖のある人はしみじみ思ったのであった。
では弁天町を振り返るの巻、まだまだあるよー。

交通科学博物館という名称はかなりカバー範囲が広い。国鉄でも JR でもないものも展示してある。

サンフランシスコ? と思ったら、大阪と姉妹都市なのか。そのご縁での寄贈物のようだ。

年代が古いのもあるけど、やっぱり海の向こうになると設計思想がだいぶ違うよね。

そしてさらなるカバー範囲の広さを物語るのが、ここから先のエリア。

わー。なんか年代モノのバイクが並んでるぞ。
そう、「交通」というからには鉄道以外の交通手段もアリみたいで、主に昭和期のモデルがあれやこれやと。全体的に丸みを帯びたフォルムが、いかにも高度成長期のそれ。

クルマもあるよ。時代がかった4輪車もさることながら、3輪はその形状自体が見かけなくなって久しい。

車体も小さければナンバープレートも小さい。それにしても、昭和中期頃のデザインセンスで作られたものって、今観ると1周してむしろ新しく感じる。

しまいには飛行機まで登場。どうやら業務用で使われていたものとかを持ってきたらしい。
勿論どれも資料的価値を認められての収蔵なんだろうけど、どちらかというと展示を始めた頃は普通にありふれたモデルだったのかもしれない。時間の経過とともに貴重になるのは、どこの業界も一緒か。

で。クルマ系エリアが全部 JR 無関係かというと、そうでもない。

へぇ、これが国鉄時代のドリーム号か。ハイウェイバスという意味では、むかしむかし(といっても勿論平成に入ってから)東京のライブへ安く行くために1往復だけ乗ったっけな。

きっとこの車両も、東西の若者たちをたくさん運んだりしたことだろう。使い込まれた燕のエンブレムが多忙さを物語る。

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