飛ぶ前の長い助走 (1) 去りし目標へ
27 Mar 2010
今でこそ次を見据える元気も戻ってきたものの、2.28ショックとでも呼ぶべき撮影意欲の落ち込みは半端なかった。が、きっとそう遠くないうちに再びスイッチが入るだろう。と当初から考えていたので、心の中の変遷過程を客観的に記録してみた。
終わりの日から1週間後。新たな目標を得てなんとか元気は取り戻したけれど、撮る気合までは戻っていなかった。それでもそこへ向かったのは、あの日観た物を写真で補完するためだった。ダイヤ改正の前に、「ひな壇飾り」のある駅で。
新神戸。いつの間にか、そこらじゅうに思い出をちりばめた駅に変わっていた。住んでいる場所の中途半端さから、新大阪とどっちがホームなのか迷っていたが、この数ヶ月でようやく決着がついたようだ。
撮りそこねていたのが引っかかっていたので「K500」。
N に囲まれて四面楚歌気味だが、こだまはこだまでも一味違うよ!という、せめてもの主張を感じずにはいられない。ちなみに、この表示は改正後に消えた模様。
それより先に、特製売店も押さえておいた。
上りホーム博多方。水兵さん説に一旦落ち着いていたこれだが、今回側面に回ってみて「いかり」がついていることを発見。船だったようだ。
上りホーム東京方。異人館、風見鶏の館。
下りホーム博多方の南京町。先日はお魚さんでしか撮らなかったので、記録の意味で今回は普通に。
こちらの東京方には売店がない。代理で洋風な時計を。
この日は他の用事もあって 746A には間に合わず、765A のお迎えのみ。
やはり定時では、750A との離合はトンネルの中。
V だと判りづらい位置で飛び出しをつかまえて、車両の撮りは終了。
ひとしきり撮り回った後、1号車の乗車口まで歩いていった。現場で現実逃避を続けるのには限界がある。いつかは向き合わなければならない。そんなふうに、冷静な方のわたしが判断したのだろう。
看板は消え、2本の柱をひっこぬいて穴を埋めた跡だけが残っていた。それを確認したとき、ふと、頭の上に違和感を覚えた。
…あぁ、本当にもう二度と、来ないんだ。
28日に覚えたよりももっと大きな虚無感が、真っ白い車体とともに駆け抜ける。W の文字が消えた停車目標位置の下で、もう一度「終わり」を突きつけられた、ほろ苦い雨の3月。
Comments
おはようございます。
K500の表記が消えた事、停止位置表示が無くなった事、乗車口案内の看板が抜かれた事、全て500系の「のぞみ」が無くなった事のあらわれですね・・・。
特製売店は船でしたか。錨がまた随分とおまけ程度の可愛らしいサイズで^_^;下りホームは降客の方が多そうですから、必要ないのかも知れませんね。
最後の写真、何気にB編成なのが嬉しかったり^_^
こんにちはです。
東海より西日本の方が停止位置撤去が素早かったのが、意外というか寂しいというか…。荒療治でしたが、これで諦めがついた面もあった気がします。
船の錨は、風見鶏と比べると余計おまけっぽく感じますw
今確認したら、B編成は37Aでした。間違いなく「B編成だから狙って撮った」ものです^_^
くしくも、こちらも定期のぞみから実質撤退となりましたが^_^;
こんばんは。やっとコメできる状況になりました。
えーまず朗報です、新神戸の”K500″の表示ですが21日の撮影で残っているのを確認できました!
K500の下の行には”各駅停車”と追加されてましたのでこれから残っていくものかと思います。
ここの記事見たあとで息子に”水兵”の駅弁屋と説明してしまったのですが・・・(汗)
こんばんはです。
あのマーク、改正後もあったんですね!姫路と西明石になかったので、てっきり消えたと思ってました。むしろ新神戸オリジナルのサービスだったりするのでしょうか^_^
水兵さんの件は大変失礼しました m(__)m 2月は下りホームから柵越しだったので見過ごしてしまったようです…
公開から30日以上経過した記事のコメントは締め切っております。あしからず。