飛ぶ前の長い助走 (1) 去りし目標へ

今でこそ次を見据える元気も戻ってきたものの、2.28ショックとでも呼ぶべき撮影意欲の落ち込みは半端なかった。が、きっとそう遠くないうちに再びスイッチが入るだろう。と当初から考えていたので、心の中の変遷過程を客観的に記録してみた。

終わりの日から1週間後。新たな目標を得てなんとか元気は取り戻したけれど、撮る気合までは戻っていなかった。それでもそこへ向かったのは、あの日観た物を写真で補完するためだった。

ダイヤ改正の前に、「ひな壇飾り」のある駅で。

新神戸。いつの間にか、そこらじゅうに思い出をちりばめた駅に変わっていた。住んでいる場所の中途半端さから、新大阪とどっちがホームなのか迷っていたが、この数ヶ月でようやく決着がついたようだ。

撮りそこねていたのが引っかかっていたので「K500」。

N に囲まれて四面楚歌気味だが、こだまはこだまでも一味違うよ!という、せめてもの主張を感じずにはいられない。ちなみに、この表示は改正後に消えた模様。

それより先に、特製売店も押さえておいた。

上りホーム博多方。水兵さん説に一旦落ち着いていたこれだが、今回側面に回ってみて「いかり」がついていることを発見。船だったようだ。

上りホーム東京方。異人館、風見鶏の館。

下りホーム博多方の南京町。先日はお魚さんでしか撮らなかったので、記録の意味で今回は普通に。

こちらの東京方には売店がない。代理で洋風な時計を。

この日は他の用事もあって 746A には間に合わず、765A のお迎えのみ。

やはり定時では、750A との離合はトンネルの中。

V だと判りづらい位置で飛び出しをつかまえて、車両の撮りは終了。

ひとしきり撮り回った後、1号車の乗車口まで歩いていった。現場で現実逃避を続けるのには限界がある。いつかは向き合わなければならない。そんなふうに、冷静な方のわたしが判断したのだろう。
看板は消え、2本の柱をひっこぬいて穴を埋めた跡だけが残っていた。それを確認したとき、ふと、頭の上に違和感を覚えた。
…あぁ、本当にもう二度と、来ないんだ。


28日に覚えたよりももっと大きな虚無感が、真っ白い車体とともに駆け抜ける。W の文字が消えた停車目標位置の下で、もう一度「終わり」を突きつけられた、ほろ苦い雨の3月。

Like
Share

Comments

公開から30日以上経過した記事のコメントは締め切っております。あしからず。