ある始発駅の追想 (1) ゼロと光陰

相も変わらず周回遅れの話ばかりで恐縮です。ここからようやく12月突入。上旬の平日のこと、仕事の終わった旦那さんと合流して、駅にやってきた。


列番表示器の向こうにはイルミネーション。風が吹き抜けるホーム端。
そう、ここは東京駅。

真っ白な車両たちが静かに並ぶ空間。だが、この角度から全体を眺めて、ふと猛烈な郷愁に襲われた。

なんだこの「懐かしい」としか言いようのない心情。16番線や15番線に入る青い列車を夢中になって待ち構えた日から、まだ1年経っていないというのに。うちら2人にとっては遥か昔のように感じてしまった不思議。

そんな撮影者たちを、高層ビルが黙って見下ろしている。

空席になった14番線に、また白いものが滑り込む。

その行き先表示と車番を観なければ、はいはい、と見過ごしてしまいそう。

誰が呼んだか「零号機」、Z0 編成をまともに観るのはこれが初めてだった。何故かこの週は集中的に走っているという目撃談をいただいて、ちょっと来てみたというわけ。

客席はブラインドが下ろされていたが、乗降扉からは中の様子をちょっとだけ伺い知ることができた。

扉のすぐ内側に、なにかの機器がくくりつけられている。

営業車なら広告や時刻表が入っている額縁の中には「自画像」。どこぞの有名カーブとおぼしきバージョンもあった。

ライトアップされるパンタ。奥の投光器だけでなく真下にもあるんじゃないかな、と旦那さん。

こういう “Not in Service” 車両ならではの細かい違いも、言われなければ遠目には気づかないかもしれない。

16号車まで歩いて、そろそろ移動しようかとなった時、旦那さんが足元にあるものを見つけた。

あの日は戻らないけれど、時代の証は確かにまだここに残っている。

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