記憶の底に眠る時代のかけら
16 May 2009
久々にちょっと部屋の荷物を整頓。7年前の Web 系雑誌って、古本屋にも売れないんじゃ…。軽くへこみつつ箱をあさっていたら、意外なものを発掘。
「700系のぞみ、誕生。」っていつのグッズだよ。J-DINER のロゴついてるし、当時わたしは鉄分薄かったはずなんで、父が出張で乗って車販で買ったんやろな。頼んでもないのに N のチョロ Q 買ってきたという近年の実績もあるし。
で、これがいつのものか思い出すきっかけが、同じ袋の中に。
99年7月改正の、西仕様の時刻表。その中身たるや、もうね。
- 500が1日7往復(山陽は更に定期+1、臨時+1)
- 500担当分はピンク地で強調
- 700は1日わずか5往復(「拡大」途中てことで)
- グランド/ウエスト/ファミリーの各ひかりも健在
- 日によって着発時刻が微妙に変わる山陽こだま多数
…たった10年で隔世の感。当時の自分にカメラ渡して500とひかり撮ってこいって言いたくなった。いや、渡しても使えんか。それにしても7往復とはなんと羨ましい…。まさにこれが、いわゆる「2時間に1本」時代だったわけやね。
蔵出しついでに、生涯唯一となってしまったグランドひかり乗車記録を探してみた。
修学旅行のしおりにある編成表は、往路だけ「2階建てが4両」。自前写真のアルバムにも「行きのグランドひかりの中で」とメモ。でもこの写真、車両の雰囲気が全然わかんないんだなこれが。
そして、しおりの初日感想欄には「耳がいたかった。れっしゃは、きれいだった。」…頭痛いわ。中3ならもっと漢字使えよって意味で。
そういや今の修学旅行生も、校庭に実物大の白線ひいて制限時間内に新幹線に乗る練習とかするんかな。今思えば、小倉駅が市内にある学校にしては田舎発想すぎる気が。
Comments
こんばんはです。
今でこそ幹鉄追っかけオヤジをしておりますが、
ほんの3年前はまったくの無関心で単なる帰省の足としか思っていませんでした。
10年前に気づいていれば…なんて思いますが、
その頃からやっていても今まで続いているか疑問ではあります。
フィルムじゃ流し連写できないしなあ。
現在のデジカメ性能があるから楽しめているのではないでしょうかねえ。
中学校の修学旅行は165系に乗って善光寺参りでしたw
こんばんはです。しばらく西に行きづらくなりました^_^;
3年前というと、某誌の創刊も06年だったっぽいので
その頃から幹鉄さんが増えてきたのでしょうか。
デジカメの進化には、確かにとっても救われていますね。
30万画素がデフォの頃に撮った500とか、しょぼすぎて泣けます…
ライブビューなしで撮れと今言われたら超困りそうですし。
中学だとどうしても行き先が寺社仏閣系になるようでw
165系は臨時大垣夜行で乗ったかもしれません。
公開から30日以上経過した記事のコメントは締め切っております。あしからず。