実録・おひとり様物語 再生編 (1) 世界が変わる瞬間
27 Apr 2008
ついったーは実況ツールではなく、全世界に垂れ流しているだけの便利な自分用メモだというのが、今回実感として理解したこと。携帯の電池がある限り、あと使用禁止の場所でない限り、いつでもどこでも読み書き可能。これはすばらしい。
ライブレポを先に書いたのは正解だった。此処からは頭を切り替えて、ライブ本編と関係ない旅路を改めて書き起こしていくとしよう。1日だけで異様に盛りだくさんでもう大変。
09:45。快速に遅れないように早めのバスに乗ったら、ものすごく余裕で新大阪に着いた。22番線のあるホームに上がると、周りじゅう真っ白。向こうにレールスターが見えなかったら本当に白い。うーむ。
それでも、中間車両の番号を観て「あ、これ西日本車」などと密かに当てっこしたりしていたら、なんだかんだでもう 9A の入ってくる時間が近づいてきた。
背後で20番線の気配に振り向くと、新大阪では珍しい(ような気がする)100系の姿が。あー、でも博多で絶対会えるはずなので、ともかく今は500に集中。
前日、6A 担当が W1 だったそうだ。とすると、今朝の 9A は同じ子が来るはず。
その見立ては正解だった。頭上には「W」の標識。これが観られるのも、16両停車位置に停まるのも、もう長くはない。そう思うと、ついその証拠を残そうとしてしまう。
おっと、のんびりしていると発車してしまう。乗らねば。
今回、距離的には新神戸の方が明らかに近いのに、あえて新大阪から乗ったのには理由がある。目的地は博多。新大阪から乗れば、分割乗車ではあるが、500で東海道山陽を制覇したことになる。それを今回、500がのぞみでいるうちに、どうしても達成したかった。
そして目的がもうひとつ。時速300キロの世界。
実は、わたしが最後に山陽区間に乗ったのは96年10月。500がデビューする前だ。だから今まで一度たりとも、最大の売りであるそれを体感することなく来てしまった。8両になったらもう300キロは無理かもしれない、だからこれは最初で最後かもしれない大きなチャンス。
下りでは姫路を過ぎた頃、最初の到達があるらしい。電光掲示板を凝視していたが、字幕は岡山まで出なかった。おりしも長野市で聖火リレーの真っ最中、ニュース字幕が多すぎたのかもしれない。
とりあえず、300キロ区間を調べ直すことにした。しかし、そこはさすが山陽。ぱふゅが出たいいともで言われた通り、トンネルだらけでなかなか繋がらない。なんとか市街地で情報源をたどり、候補区間をメモした。
三原〜東広島。広島〜新岩国。小倉〜博多。
駅でもらった時刻表で推測した通過時刻と、実際に通り過ぎる駅の影、それが手がかり。見つめる窓の外を、いくつも過ぎる帯。心なしか黄色が多い。
三原を過ぎた。ニュースやそれと同じくらい多い車内設備案内をいくつかやり過ごしつつ、なんだか走行音の雰囲気が変わった気がした。そして11:27頃、ふと流れ出した文章。
「ただいま…」
それだー! 動画モードのデジカメを急いで構え、ボタンを押した。
これがその記録。トンネル内での高速走行からくる振動と、初めて実体験した興奮から、相当見苦しいブレっぷりだが、記念ということでひとつ。
その後、11:47頃の岩国付近でも再び表示を観た。そして、しばらくは来ないかと油断していた徳山発車後、またまたそれはやってきた。12:12頃、新山口〜厚狭。
油断していたのに何故「あれ?今300出てない?」と感じて写真を撮れたか。それは300キロを2回観た結果、その時の重力感と音がどのようなものか、なんとなく判るようになってしまったせいだった。勿論いきなり出るスピードではないので、実際はだいぶシームレスな変化なのだろうけど。
そのかわりと言っては何だが、小倉以西では表示が出なかった。観れたのは、かつて窓から新幹線を観ていた高校を、今度は逆の立場から眺めたことくらいか。
そして博多。回送として南へ去っていく W1 を見送り、まずは改札へ降りる。次のきっぷを手に入れるために。
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