Review – SUNNY 強い気持ち・強い愛 / 2018.09.12

本日は予定を変更して、今日観てきた映画の感想文でございます。
邦画鑑賞はなんと8年ぶり(RAILWAYS 以来)。契機は言うまでもなく「音楽:小室哲哉」ほぼそれだけ。何らかのヲタ向け要素でしか映画に釣られない、映画に詳しいとは到底言えぬタイプの観客。原作の韓国映画ももちろん未見。よって「先生の劇伴を聴きに行った人」が「90年代の実体験を踏まえて」ツボった箇所を列記したものとしてしか参考になりませんのであしからず。

もくじ

音楽について

いい意味で予想を裏切る先生サウンド

当たり前だけど劇伴なんで、進行を彩りつつ邪魔しない程度のアレンジ。なんだが、過去のドラマ系サントラとの最大の違いが、まるで最近の TM やソロで聴こえてくるような音色がふつーに使われてること。仮にそうと知らずに聴いても一聴した瞬間にわかるやつ。もっとおとなしいものしか想像してなかったんで驚いた。鑑賞後パンフ読んだら「生ピアノ&ストリングス禁止令」が監督から出てたとわかって納得。
あと、なんとなく過去作を連想させる「微妙なデジャブ感」をあえて狙っている可能性も。CAROL そっくりなやつ(サントラ4曲め)とか、大正義小室進行全開(同19曲め)とか。

音楽ありきで作るタイプの監督

大根仁監督作品はこれが初見。ただ、過去作にて Perfume やサカナクションをうまく取り込んでいたらしいことは知ってたんで、だったら大丈夫かなという根拠なき信頼のようなものはあった。
今回は先生作品以外の曲も多く、そもそもサブタイがオザケンだったり OP が久保田利伸だったりするわけだが、それでも明らかに安室ちゃんだけ扱いが別格だとか、trf の圧倒的アンセム感とか、街頭に globe の大きな広告枠とか、当時の熱狂をわかってて使ってる感は伝わってきた。その上で「過去の流行」にとどまらず「現代の」先生に劇伴を発注してくれたことに感謝したい。

実体験との対比など

東京のコギャルと地方のイモい女子高生

自分の高校時代は本作の舞台よりわずかに前のことだが(歳がバレる)、完全に後者。そもそも東京のルーズソックス文化が九州に渡来したのは95年よりも後のこと。昔の写真を首都圏育ちの旦那さんに見せると必ず「イモっぽい」という感想をもらう人としては、主人公にとってはアレがデフォだし東京民の中に置くと浮くのもわかる。きっと田舎出身者の方が主人公への感情移入は早いはず。

コギャルはオザケンを聴くのか問題

あまり聴かない説もあるが、これはもう個人差の範囲かと。自分の周囲ではむしろパリピ勢がオザケンファンで、TM 含む先生ヲタはオワコン扱いされていた。それでいてそんな彼らがフォークダンスに trf を選曲するという華麗なる手のひら返し。
その点、本作はみんな選曲がかぶるほど安室ちゃんや trf が大多数に堂々と支持されていて正直うらやましい。

レディースデーならでは?の映画館の盛り上がり

水曜に行くと安いじゃないですか。だからわざわざ水曜を狙ったところ、同じことを考えた人だらけ。男女比の偏りがすごい。そして過去の映画鑑賞でほとんど経験したことのない「小ネタで場内一斉に笑う」が幾度となく発生。決してアラフォーしかいなかったわけではなく、年下世代も結構見受けられたんだけど、総じて客席の反応がすこぶる良かった。
はっきり言って物語としてはベタベタな展開なので、だからこそ観衆みんなで共鳴しやすいところはあるかと。

まとめ

先生ヲタは観るべき。男子は居心地悪いかもしれんがそれでも観た方がいい。
本作の舞台となった 1995〜97 年はコギャル黄金期でもあるが、TK ブーム黄金期でもある。先生の作品が時代とともにあったことを後年に語り継ぐ「記録映画」の一面が本作にはあると思っている。TM 推しにとっては不遇の時代でもあったけど、結果的にあの時代が多くの記録にも記憶にも残っているのは事実だし。
そして同時に、先生が新たに書き下ろした音楽を、広い空間と大きなスピーカーで耳にすることができる、いまや貴重となってしまった機会を逃す手はない。ま、自分はあきらめの悪いヲタなんで、これが最後の作品だとはまだ思ってないけどね。

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