在りし日のスペースワールドと Think Of Earth にまつわる思い出の話。

2017 年に閉園となったスペースワールド。元市民として純粋に行楽地でもあったが、同園でかつて催されたライブは自分にとって人生初のナマ小室哲哉であり、先生推しライフを送る決定打となった公演。そのライブから30年が経過した。いい機会なので、91年当時の園内ガイドブックなどを交えて記録しておく。

もくじ

1991.04.21 開園1周年記念ライブ THINK OF EARTH

厳密には4/20・21の2公演。土日の終日いろんな催事がある中、大トリを務めたのが先生ライブだった。

会場は、同園のシンボルだったスペースシャトル「ディスカバリー」実物大模型前の広場(のちにコースター設置で消滅)。全席立見・ブロック指定制だったため、入場時は行列必至。広場前から敷地外周に沿って待機、当時の最寄り駅・枝光に向けて列が伸びた。自分は正面の前から2つめくらいのブロックで、それなりに没頭できる立ち位置につけたのは幸運か意地か。
のちに先生が「寒かった」と語ったのがどの媒体か忘れたけど、洞海湾のすぐ近くだから海風もあって、4月でも夜は多少冷える。そりゃオーガンジーの衣装じゃ寒いに決まっとるし、こっちも上着なかったら無理やった。

ちなみに Wikipedia ではライブ名称が SPACE WORLD となっているが、実際は当時の園内パンフにある通り。当ライブのために作られ、のちに EXPO へ収録された曲名と同一である。

Thrill Mad Natural をベースとした組曲 “SPACE WORLD” を柱に、既発ソロ曲と TM 名義のインスト少々、そしてタイトルチューン。本番中に夜を迎えた空には月、ステージ中央にグランドピアノ、という構図は EXPO を想起させる。そしてサポートメンバーは RHYTHM RED ツアーの御三方。いろんな意味で「リズレと EXPO の間をつなぐ公演」だったことは間違いなく、自分の中では先生ソロでありながら TM の一環と位置づけてある。
商品化が一度も実現していないのは、権利処理の煩雑さ以外に、WOWOW の中継が完璧でなかった影響もあるかと。後半のいいところで衛星トラブルにより映像と音声が大きく乱れた。先生がボーカルパートを盛大にとちったのが帳消しになるレベル。

チケットも視聴対策も新聞経由の時代

チケット前売情報は TV や新聞などで展開され、新聞広告欄記載のプレイガイドで4/20分を確保。諸般の事情で1枚余ってしまい、地方版の譲りますコーナーで引き取り手を募集。相手の方とは現場で意気投合、その後数年にわたって文通のやりとりが続いた。
一方、4/21分は前述の通り WOWOW で放映。視聴可能民は少数派だった中、譲りますコーナーに記載が。おかげで両日のステージを観ることができ、自分の参戦日と比較して疑問も生まれることになる(後述)。
紙面にて一般人の住所氏名が普通に掲載され、中身の入った記録媒体のやりとりが普通になされる。個人情報も著作権もへったくれもない、今なら大問題でもネット普及前の平成初期にはよくある光景だった。

後日、細かすぎる疑問の解消

数ヶ月後、FM 福岡の番組に先生が単独ゲスト出演。はりきって送った質問おたよりは封書が目立ったのか(当時ラジオ投稿は葉書が通例)見事採用、ライブすごくよかったですという感想文に「ありがとうございます」と一言ゲットできたので満足です。
なお質問内容は、「北九州どうでしたか(A:ライブ会場以外わかんない)」という大雑把から「4/21は KX5 持ってステージ前方へ出てきたのに4/20に使わなかったのはなんで?(A:ジャムセッションのようなもので演奏当時の気分次第)」な重箱の隅まで。むしろよくこんなんに答えてくれたなと。

イメージソングの地位を実質的に獲得していた可能性

月日は流れて閉園日、営業終了時刻を迎えた園内 BGM としてライブ表題曲(ボーカル部を楽器に置き換えた非売品であろうバージョン)を流していた。その話を後で知り、運営が四半世紀以上にわたって曲の存在を認識していてくれたことにしみじみ感謝。「言わずと知れた天気予報 FANTASTIC VISION」「実在ディスコ店の名前を拝借 Maria Club」に続き、福岡県3大ご当地 TM ソングに数えてもいいのではないだろうか。

閉園当時の模様を FBS が残してくれている(BGM 部分は 2:10:14​ 以降)。TVQ 開局前の eZ には大変お世話になりました。

テーマパークとしての記憶

遊びに行く目的での入園は、実はたったの2回だけ。開園から九州離脱まで5年のうち2年は受験生、そうでなくとも高校は部活一直線、そもそも中高生のお小遣いで入場料が頻繁に出せるか、など理由は複合的。
1回めは中学の夏休み、どこで手に入れたのか、夜限定「トワイライトパスポート」の招待券で。

持参カメラの撮れ高は極めて悪く、まともなのはアトラクションの撮影サービスくらい。夜やし当然か。なお、当日カメラを持っていた主要用途はまたしても TM。EXPO ポスターと自分を収めた写真で応募するプレゼント企画があってね。忘れた頃に当選してた。

もう1回は高校時代、クラス会の行き先。

某ランドでいうミニーに相当するヴィッキーラビットを囲んで記念撮影。場所はスペースキャンプ付近。
今で言う陽キャが仕切る組で影薄めに生きていたが、なぜかこの会には参加した。部活の友でもあった女子1人(以前に京都案内した友である)を除いて、皆どこでどうしているやら。

おそらくメイン客層は当時から中高生であり、絶叫マシーン増加で20代も多少増えたかな、と想像。入場者数が90年代終盤から下降傾向というのは、団塊ジュニアとその下(のちのロスジェネ)が進学就職で転出すればそりゃそうなるわ。
閉園後、あのシャトルも取り壊され、跡地はイオンモールになるばかりと寂しく思っていたところ、敷地内に児童文化科学館が移転オープンするとのニュース記事を発見。宇宙に関する展示もあるようだし、当時の話も何かしら受け継がれるといいな。

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