産業興隆の息吹あり (3) 時を写す変遷

今週も結構バリバリやっております。いや、当初想定より遥かに難易度が高くてですね。技術的に可能なものはきっちり作り、無理なもんは無理なりに着地点を探る。これだけ頭ひねってるんやし、脳のカロリー消費でもっとやせればええのにな。
さて引き続き昨年秋のトヨタ博物館から。

1930 年代。この時期になって、ようやく日本勢がクルマ史に姿を見せ始める。

エントランスすぐのところにあった AA 型と同一モデルの色違い。どのようにできたかは説明を受けるまでもなく、隣に展示された外国製車両を観れば合点が行った。

数年前に登場した「エアフロー」というアメ車。自動車の形状として流線型が根付く前のことで、セールス的にはふるわなかったものの、現代の車両にまで通じる画期的な特徴を持つことに変わりはないようだ。

トヨタ(当時の表記は「トヨ『ダ』」)も別にパクったわけではないだろうが、この車体構造に影響を受けたことは同館の解説文でも隠していない。まあどう観ても隠れてませんけど。

これと前後して国内他社でも、次々と車両が生み出されるようになっていく。

日産の前身となる会社が製造した、現存最古のダットサン。のちに日本製トラックとして海外で抜群の認知度を誇るに至る、その源泉が戦前の時点で生まれていたことになる。

一方、ダイハツはオート三輪を作っていた。狭い日本に適した小ささ、そして安さ。現在のダイハツを考えても、当初から方針がブレていないのがよくわかる。

その頃の海外勢はというと、豪華で華やか、そして性能も優れたクルマが各地でどんどん作られていた。

鼻先に燦然と輝くベンツのエンブレム。もちろん当時もすでに高級車扱いである。

実用性とデザイン性の両立が図られたプジョーの量産車。

同じフランスでも、高級車メーカーとして名を馳せていたドラージュの車両は SF のようですらある。

そしてアメリカ。パッカード社による、時の大統領ルーズベルト専用車。日米開戦前夜、太平洋の向こう側ではこんなのが走っていたのね。

と、なんでいちいち不穏な話を書くかというと、戦争の影響が該当時期の所蔵車両の少なさにも表れているから。欧州の豪勢さやアメリカの権威の象徴などは、戦況が激化する前に打ち上げきった花火のようなものだったらしい。

そして戦後。ようやく新たにクルマが作られ始めると、明らかにデザインテイストが一変。欧米で競うようにスポーツカーなどが作られていく。

て、これがかの有名なコルベットの初代ですか。ユーモラスなドクロのような顔。

さらに、ガルウィングに目を奪われるベンツのクーペ。戦前世代と比べると、どれもつるっとした外見だ。

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