都ぞ春の錦なりける (5) 楽園を隠す
16 Jun 2021
月の前半は空梅雨っぽい雰囲気あった反動なのか、ここんとこ天気いまいちの日がちらほら。加えて、やれ手首が痛い腰が痛いと2人揃ってお歳を感じざるを得ない近況。撮影もあんまりできておりません。ご時世もあるし、動くにしてもまあぼちぼちね。
さて引き続き4月の天龍寺から。
天龍寺の庭といえば、池越しに眺める緑の景色。我々が持っていたその認識は、今回の訪問で覆された。
目の前に広がっていたのは、咲き乱れる花園。やや急な斜面のあちこちに、小ぶりな花をたたえた木が植えられている。
その大半はツツジ。中には特徴的な葉の付き方をしたものがあり、見た目直球でミツバツツジというらしい。
紫がかった独特なピンクのような色をした花が多く、マゼンタ飽和しそうだなと現場でつい思う。
毛色の違うところでは、スズランを縮小したような釣鐘状のかわいらしい花も。このくらい寄って鑑賞するとちょうどいい、小さなドウダンツツジ。
新緑をたたえる木々と苔むした地表に、春らしい色彩が色濃く踊る様子は、観ているだけで気分が明るくなってくる。大阪府内で桜を楽しんだ翌週だったこともあり、まだ桜があったらラッキーくらいのノリで来て、別の花が満開だったのはうれしい誤算。
道なりに歩いていくと、前方に階段発見。
庭の構造も知らずに来たけど、高いところがあるようだ。ツツジに導かれて登ると、
大方丈の屋根より高い、ちょっとした展望台。よーく観ると奥に京都タワーも見える。
さっきあの屋根の下で池を眺めて休んでいたとき、視界には緑ばかりが映っていた。その背後に驚くほどの鮮やかな景色が潜んでいたとは。
この高さから眺めたことで、境内にソメイヨシノと異なる桜があったことにも気づく。ここの枝垂れ桜は早咲きタイプが主流のようで、今年はほぼ終了していた。このためだけに最盛期を狙って来る人も多いことだろう。
それにしても、2年前までなら考えられないほど空いている(京都基準)。
我慢大会が長期化しているのはつらいけど、頃合いを見計らって来る「人口密度低めの京都」がこんなに快適とは。と、同様に快適だった去年の大原を思い出しながら高台を下る。
開けた遊歩道沿いには、さっきの群生とまた異なるタイプのツツジも。
多宝殿の真正面に、ひときわ立派な枝垂れ桜。見頃を終えつつも多少の花が残ってくれていた。
庭園以外は幕末までに幾度となく燃えており、現在の建物はみな明治以降のもの。庭にしたってメインの曹源池以外は姿を変えてきていることだろう。そうと承知で、中世の人々は庭でどう過ごしたか、思いを馳せるのもまた一興。
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