あたらしい旅行様式 (2) 平和を願う時

明日は以前から入れていた予定があったんだが、ここに来て別の予定が追加に。細かく言うと結構違うジャンルの中身ながら、いずれにせよ健康維持にかかわる大事な用事。こんな時期だからこそ、自衛できる範囲はこまめにがんばりたいものだ。
さて夏の長崎、最初の訪問スポットはちょっと特別なところ。

お宿に荷物を預ける際、もうひとつお願いをした。路面電車1日券の入手。市内の主要ホテルではたいていフロントで販売しており、車内であたふたせずに済むのでとても助かる。

券を持って最寄り電停へ。十八銀行前こと「築町」は近年名称が変わり、現在は「新地中華街」。大変わかりやすい。

でだ。前回「お盆が近いから」とアバウトなことを書いたが、これには至って真面目な背景がある。電車でまず向かったのは、その理由を示す場所。

中央の広場に中心点を示した碑が建つ。爆心地公園。

かつて原爆投下を受けた長崎。当家はそれぞれ大小の差あれど、この出来事とかかわりがある。
以前書いた通り、旦那さんの本家は長崎県内。すでに亡くなった親族で、手帳を所有していた方がいるとのこと。一方、8月9日の投下先第一候補は小倉であり、長崎は次点だったのは有名な話。もし小倉に落ちていれば父方祖父母のいずれかに影響し、自分も生まれなかった可能性が高い。
過去の旅では旅程に余裕がなく組み込めずにいたが、今回やっと来ることができた。

広場の隅には、ここから少し北にある浦上天主堂の遺構も移築されている。

遺構近くの階段を降りた川沿いには、被爆当時のまま保存された地層断面も観られるようになっている。その川の対岸に、平和への思いを描いた子供たちの絵が飾られていた。1枚分の空白区画には、平和祈念式典で使われるとの但し書き。

歩いてすぐのところに、式典会場となる平和公園がある。

当日の一般参列ができないことを予告する看板にコロナ対策の苦労を感じたが、気づくべきはそこじゃなかった。

高台に上がると、正面に「平和の泉」。苦しみの中で水を求めて落命した人々に寄せたもの。そしてその奥に、かの有名な像が待っている。のだが。

ここで我々は初めて、絶妙な間の悪さに気がつく。像周辺が式典会場。開催は数日後。よって絶賛設営工事中、一般立ち入りは不可。そりゃそうだよな。

ということで、工事の邪魔をせぬよう、フェンスの外側からそっと拝見する平和祈念像。

稲佐山もよく見える高台。大階段の脇にエスカレーターが上下完備されたのは、被爆関係者の高齢化に伴うものだろう。

せっかくここまで来たので、原爆資料館にも足を運んだ。あまりの暑さに1電停乗車。電停からの歩行距離を考えると公園から徒歩でも大差なく、「平和公園→爆心地→資料館」の順で回れば最短経路だったんだが、それはおいといて。

実は広島の同様施設も未訪問なため、生の資料を目にするのはこれが初めてだった。撮影自体は可能なんだけどカメラを向けるのも気が引ける、惨事を語る数々の展示。

75年の時を経て、今は関連施設とともに緑に囲まれた静かな空間。いろいろなものに思いを馳せたひととき。

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