幸願う光の道と四半世紀 (2) 祈念の宮殿

だいぶ前にやった案件についてお問い合わせをいただく。一部曖昧な記憶と欠けた資料を掘り起こし、ネットの集合知も拝借しつつの返答。結果、なんとかそれなりの落とし所に行き着いて一安心。しかし、バックアップはどんなものでも取っておくべきやな。
それはさておきルミナリエ後編どうぞ。

通りを抜けたら東遊園地へ。広場に構えているのは、もうひとつのメイン展示。

大聖堂をイメージした荘厳な作品。今年イタリアで本物を複数観てきただけに、雰囲気が上手に再現されていることをより実感できる。この手法による光の彫刻自体がイタリア伝来のものだから、まさに面目躍如といったところか。

とりわけ目を引くのが中央のドーム。実際に街の中心となる教会には、必ずと言っていいほど設けられているアレ。

もちろん大屋根の下に入ることもできる。一歩足を踏み入れると、到底ファインダーに収まらない巨大な空間。撮影していてもしばし手が止まり、思わずぽかーんとただ見上げてしまう。本物と同じような反応。

脇に控える四角い柱もまた、いかにも実物にありそうな造形。
全体としては例年より横幅控えめに抑えられているものの、間近で眺めた際の迫力は過去作品に劣らず素晴らしいものだった。

これまでの開催時、混雑を避けるというか気づかずにというか、敷地の最南部までは行ったことがなかった。せっかくなので覗いてみる。

鮮やかなパネルの足元はステージになっており、あれこれと音楽も奏でられている。
なんせ初めて入ったエリアなのでその場では気づかなかったが、この場所にあったはずの人工池が撤去されていた。昨年の水まき騒動を受けて「奥に行けば常設の水鏡があるのに」って声もあったけど、結局のところ「映え狙い」自体が催事本来の趣旨にふさわしくないと言えばそれまで。撤去の理由は不明ながら、混雑緩和を考えてもこれでよかったのだろう。

本来の趣旨といえば、常設のものが特別な装飾を施されていた。

希望の灯りを見守るように建てられたアーチ。これも開催25回めにちなんだもの。

この付近、地下に設けられた空間では、犠牲者の名が刻まれた壁をたどって歩く人の姿も。震災後に生まれた人が大人になるくらいの歳月が過ぎたけれど、残された教訓は忘れないようにしたいものだ。

歩いているうちに、消灯の22時が迫ってきた。さすがに市役所展望台に上る余裕はなさそうだが、地上でしっかり鑑賞できたからよし。

そんな時刻でも人波は途切れず続く。後日発表では来場者数も下げ止まったような感じがあるし、また来年、かな。

行列の先で鳴る鐘の音に耳を傾けつつ、三宮から阪急で帰宅の途についた。

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