古今東西天王寺 (5) 太子の寺古く・2
21 Mar 2019
ふと思い立って音楽再生環境の充実を図る。パソコンなしで iPod を再生できるように Bluetooth 対応スピーカーを導入、国際線の機内で静寂を得るためノイズキャンセリングヘッドホンも導入。いずれもワイヤレス。世の中便利になったもんだ。
なわけで月初の大阪市内散歩ラスト。
どうやら工事中のようだ。しかしこの工事のおかげで、おもしろいことに気づく。工事エリア周囲には、なにやら不思議な形状をした漢字を書いた幟が立てられているのだが、伽藍の東面に沿ったところにその種明かしを発見。
これは番匠堂といって、聖徳太子を大工業界のパイオニアとして祀っているもの。四天王寺建設の際に舶来の先端技術を取り入れたり、大工道具にお経を書き込んで安全祈願したり、諸々の業績によるものらしい。
という由来により、奉納された幟には著名な建設会社の名前がずらり。なるほどね。なんとなく南無阿弥陀仏と読める謎漢字は、大工道具を使ってデザインされたものだった。
そのまま北上すると本坊に着く。
南に面したこの門が封じられていたため、別の入口から方丈や庭園を見学できることに気付けなかったのは残念。まあなんだ、事前にちゃんと調べて行けって話っすね。はい。
伽藍の北面に沿っていくと、大きな四角い池があらわれる。
あら、かめさんがいっぱい。これでもかと大群が甲羅を干しまくっている。その名もズバリ亀の池。
そんな池のほとりに建つのが六時堂(重要文化財)。日々の儀式や法要が執り行われる、寺本来の役割においても重要な施設。
さらに、池をまたぐ形で堂の前に設けられた広い空間は石舞台。毎年4月、聖徳太子の命日にはここで雅楽や舞が奉納されるという。
そういう意味では、建築的な中心は伽藍で、信仰的な中心はこちらなのかもしれないな。
六時堂の脇を抜け、あとは西へと進む。
天気のいい春の午後、境内を散策する人も多かった。花を見つけるとたいていみんなカメラを向けるのも一緒。
境内には実にさまざまなご利益や目的を持つお堂が数多く並んでいる。それぞれ異なる時期に賑わうらしいから、総合して常に何かしらの願いを持つ人がここには集まってくることになる。
こうして、著名な割にこれまで訪問歴がなかった名刹のおまいりは終了。
なお、3年後は聖徳太子が亡くなってから 1400 年の節目にあたるようだ。ここで「平成三十四年は存在しない」などとつっこんだら負けか。
帰りは天王寺駅ではなく、寺まで来たことによって最寄りとなった別の駅を使った。
四天王寺前夕陽ケ丘。大阪メトロ屈指のながーい名称を持つ駅、わたしは初利用。ローマ字の細かさが壮観。
駅周辺にはびっくりするほどお寺が点在していた。寺町の総元締めに行ったようなもんやな。
公開から30日以上経過した記事のコメントは締め切っております。あしからず。