古今東西天王寺 (4) 太子の寺古く・1

桜の便りも近いといわれる頃。だがしかし、例年のこの時期に比べるとまだ冬の装いから脱却できない日も結構あるな。と、去年以前の写真がどこぞでピックアップされるたびに思う。それとも、なんだかんだで彼岸までは毎年こんなもんやったかな。
さて月初の大阪散歩、後半はまた趣の異なるところへ。

公園の北端から少し歩いて谷町筋を越えると、有名スポットの入口が見えてくる。有名というより、「天王寺区」の由来に直結する重要な場所。

四天王寺である。その略称がズバリ地名となっているのはわかりやすい。
お寺なのに鳥居があるのはいつもの古刹あるある(神仏習合の名残)。国内仏教のルーツであり、聖徳太子が設立に直接かかわった数少ない寺としての矜持は、脇に掲げられた「大日本佛法最初」の文字からもうかがえる。なお鳥居自体が重要文化財。

境内に含まれる中学高校や、小物をあれこれ扱う露店を過ぎて、まずは西大門をくぐる。

4本の柱にそれぞれ転法輪。手のひらで時計回りにぐるりと回す。マニ車とはちょっと違うけど、なんとなく通じるものがある。

まっすぐ進むと、正面には中心伽藍が待っている。

台風やら空襲やらで何度か失われつつも、戦後に本格的な再建が果たされて今に至る。せっかくなので、お代を払って中も拝見するとしよう。

南側に五重塔。さすがに東寺ほど大きくないとはいえ、像や壁画が収められた構造としては同様のもの。

中央には金堂。大きく美しいご本尊と、守護として四天王像が配されている。
その奥、伽藍の最北にあるのが講堂。2体の像を囲む壁には、仏教が日本へ伝わるに至るまでの物語が壁画として描かれており、これを時計回りに鑑賞すると大変わかりやすい内容。ちなみに、この絵の一部には綺麗なおねえさんも描かれていたため、さっきフェルメール展で観てきたばかりの「宗教画と称して綺麗なおねえさんの絵」とまったく同じやんけ、という結論に達する。

という3棟をめぐる回廊。どこか春日大社の雰囲気を思い出させる。かつて寺と神社が渾然一体であったことを、知識を超えて感覚で理解できる景色。

3つの建物がほぼ南北一直線に縦に並ぶ、この配置。最初に建てられた当時の様式を可能な限り再現したものという。

そういや、日本史で伽藍配置がどうのこうのって習ったような気がする。「四天王寺式」もあったよね。

あと聖徳太子つながりで考えると、やっぱりいずれ法隆寺は再訪せねば。中学の修学旅行で行ってるはずだけど、ろくに記憶がないし。

ほぼ1周して、今度は伽藍の外側へ。

南から観る中門には鮮やかな仁王像。さらに東側へ回り込んで歩を進める。

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