お名残列車、東へ。 (3) 日常と非日常

土日の予報がさっぱり好転しないなぁ。混むに決まってるから駅撮りは避けたいのだが、雨量によってはやむを得ないかも。いっそのこと広島駅…いやそれは旅費が。うーむ。
乗り通しレポ、まったり車窓編でもどうぞ。

ぶれまくりの絵を出すのはためらうが、出身地なので特別扱い。

北九州トンネルを抜けた直後、A 席側(福岡県内は「山側」が南)を思わず振り返った。卒業後に建てられた棟の奥、微かにのぞく馴染みの校舎。教室の窓からグランドひかりや黄色さんを眺めたのも今は昔。

一度でも足を運んだエリアなら、風景への関心も高まる。といっても山陽ではトンネルの方が多いからなかなかそうも行かないが。

そんな中にあって、徳山のコンビナートはやはり目を引く。

山陽で LED 撮影を熱心にやっていた余波か、それとも風景を見慣れ過ぎているのか。新大阪を過ぎた途端、枕の誘惑が俄然強く感じられるようになってきた。要するに、眠い。
眠気覚ましに沿線や駅の同業さん探しをおすすめする声もついったーでいただいたものの、これが肉眼では意外と難しい。駅でも米原とかだったら A 席の方が向いてると思う。連写で捕捉すりゃええやんと言われそうだが、最終手段を使うのは一度だけと決めていた。

よし、一番の眠気覚ましは立ち上がって歩くことだ。ちょっと行ってこよう。
といっても行き先は最寄りの電話ボックス、6号車。例のテレカを再び買いに。そういや、朝コーヒーを買うのに五千円札しかなくて結果的に両替状態になったのだが、それがなかったらわたしも購入不可能だったのか。何が幸いするか判らない。
ミッションをまた1つコンプリートして戻る途中。

往時はここも賑わっていたろうか。これが使われていたであろう時代の記憶はまったくない。
今だからこそ長かった非鉄時代が惜しまれるが、それでも、幸せも不幸も全部含めて今まで歩んだ道が1つでも違えば、わたしはこの 6A の車内にいなかった可能性が高い。だとすれば、後悔すべきことは何ひとつないのかもしれない。

前日同様、関西地方は素晴らしい晴天に恵まれていた。湖西の山々も美しい。

そして伊吹山はなおいっそう美しい。て、またこのパターンかい。乗車中に限ってよく見える法則が確立してしまいそうな悪寒。もう撮り直しには来れそうにないなぁ。

再訪できそうにないといえば、ソーラーアークも同じこと。

名駅のツインタワーも、あと一度くらい来たかった。

跨線橋を封じられたと聴く浜名湖も、橋梁の足元には行けずじまい。

先代機の頃の方が、ある意味フットワークが異様なまでに軽かったのかもしれない。もしそれが写真の出来(もしくは某誌掲載実績)に影響してるのだとすれば、3月以降でもいいから克服すべき第一の壁はそこなのか。
ふと A 席側を振り返った窓の遥か向こうを、一時期最もこだわっていたポーラの鏡面が過ぎ去っていった。

富士山はほぼ見当たらない状態だった。熱海の桜はまだ遠いようだった。
その後、かろうじて寝落ちこそしなかったものの、基本的には「グリーン車の座り心地をひたすら堪能」と言っていいと思う。でもそれでええんやろな。だって、眠くなるほど快適なこの空間を味わいつくすことは、もうできなくなるんだから。

新横浜を発車した。2列シートを独占したまま、旅の終わりが迫る。

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