近畿を制する者は (16) 記憶霞む南河内

終戦記念日である。戦前を知る人が減ったと言われて久しいが、そういやうちの祖父母も戦前生まれ。母方祖母を除いて皆すでに亡く、昔の話は九州の祖父からごく断片的にうっすら聴いた程度。話したくなかったのもあるだろうけどなぁ。
なわけで長々とお送りしてまいりました近鉄攻略旅最終回。

尺土から再び南大阪線に乗り込む。

まもなく古市、というタイミングで渡る石川。
学生時代、この界隈によく出入りしていた。芸大生が何人も住んでおり、集まっては夜通しわいわいやっていたのが古市や喜志のあたり。だがしかし、この景色の中にそれがあるのかどうかもよくわからない。ここに住み続けている人もほとんどいないだろう。

かろうじて PL の塔に、花火の思い出を重ねる。あれは大多数の関西人にとっては単に「大きな花火大会」でしかない。

そんなこんなで、これは長野線の終点、河内長野。

旦那さんは全線初、わたしも喜志以南は(富田林まで利用済の可能性もあるが確証なし)今回が初乗車となった。

つーか、この駅は南海の存在感が圧倒的で、近鉄は間借りしているにすぎないようだ。

改札の規模感もこの通り。

列車の扱いにしたって、南海は2面4線の特急全停車、かたや近鉄は実質1面1線、来るのはほぼ準急。

さあ、最後の1つへ向かおう。本線に戻ってすぐの道明寺で下車。

乗り継ぎが10分あれば利用実績作り。道明寺といえば桜餅(関西風)ですなぁ。

こちらが、残す1つとなった支線の出だし。と言いたいところだが、開業当時は途中駅だったらしい。これから乗る支線は近鉄でも最古の歴史を持っており、もとは古市まで直通していたという。

そんな道明寺線の電車がやってきた。て、思ったより乗客いるな。なんでや。2駅しかないのに。その答えは終点にあった。

まさかの「JR と対面乗り換え」。しかも完璧なダイヤ合わせ。こっちが着くのを見計らったように、黄緑の大和路線もほぼ同時に到着。近鉄から多くの客が JR に吸い込まれていった。便利やなー。

ホームが空いたところで最後の終端記録。数ヶ月がかりの目標を無事達成した。

じゃ、せっかくなんでこの駅も記念に出ましょう。

柏原。かしわばらではなく「かしわら」。

ここもまた間借り構造。はしっこの1面1線だけが近鉄の世界。乗りつぶしのゴールにしては地味やな。

近鉄への導線は念入りに示されているものの、どう観ても設備の大半は JR 仕様である。そのせいか、3日間フリーきっぷ・週末フリーパスなどの近鉄特有のきっぷが自動改札を通らないので注意だ。まんまとひっかかった人が約1名。

改めてホームへ戻ると、大和路快速がかっとばしていった。

普通に乗るだけなら、IC カードのタッチさえ忘れなければ大丈夫。くれぐれもお忘れなく、という押しの強さ。

あとは道明寺に引き返し、芸大生でにぎわう電車に揺られて阿部野橋へ。

毎週のように使っていた頃からすると、とてつもなく綺麗になったもんだ。当時の仲間たちにとってみれば、あのときの女子大生が鉄ヲタになっているという想定がまずないだろうけど。

こうして、半年近くかかった制覇の旅をついに終えることができた。正直長かった、というか我ながらようやったわ。

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