ふるきをたずねて (6) 目覚めの日 / 1990.03.04

今日分の現像が終わってないんで、随分間が開いた回顧シリーズ。やってみてよーく判ったのは「写ルンですをいくらスキャンし直しても画質は上がらない」という事実であった。解像度は上げたが退色等はいかんともしがたく、97年頃に大学のスキャナで取ったのと大差なし。しくしく。ではラスト。要するに写真趣味の原点。


これが、生涯で初めて自分でカメラを使ったと思われる時のもの。最初の1枚が既に鉄道写真。もうこの時点で、今みたいになる運命やったんやろか。

といっても、旅の目的は電車ではなかった。ジャニヲタの友人と、グッズショップめざして博多へ。小倉にはショップがなく、新幹線に乗る財力もなく、それで在来線での往復。たとえ1時間かかろうとも安さは重要だった。
ひとしきり買って、これは帰りの快速の中。新しい電車だ!かっけー!みたいなテンションだったのは間違いない。往路の古い方も撮っとけよ、とは今だから思えることで。

車端のボックス席に陣取ってグッズ品評会を繰り広げつつ、一方でわたしは何故かこんなものを撮り始めていた。

なんとも狙いの伝わりづらい絵面だが、目的は駅名標。何を思ってそれを撮ろうと思ったのかはもはや判らない。小倉というバス王国において「電車に乗ること」自体がレアだったせいかもしれないが、多分無意識。
香椎は博多に近く利用者も多いからなのか、現在と同じデザインのものが使われていた。ちょっと郊外に出ると様子が変わってくる。

こんなんとか、

あるいはこんなんとか。民営化からそう何年も経っとらん頃やし、過渡期ってことで。

バスに乗り換える関係で、戸畑で降りた。そしてまた無意識に、発車する快速を見送っていた。

つまり、これが生涯初の編成写真…というには随分お粗末だが。

実はこのとき、わたしたちは勘違いをしていた。新しくて顔が白かったから、ハイパーサルーンに乗ったと思い込んでいたのだ。それが特急の愛称とも知らず。この写真が現像されて、香椎に貼ってあった783系のポスターと、乗ってきた811系の後ろ姿を比較するまで、誤解が解けることはなかった。
この3ヶ月後にジャニヲタを辞めることも、7年後に乗り鉄に目覚めることも、知る由もない頃の小さな笑い話。

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