ふるきをたずねて (5) 辺境のポイント / 1991.08.10

週末の予定がまだ固まらない上、暑さのあまりに気合が途切れがち。いかんいかん。
アナログ蔵出しネタは、これ入れてあと2回。97年以前は自分の鉄分についてまったく自覚なかったんやけどなぁ。写真あるのが不思議。

どんな用事で飛騨に行ったのかは忘れてしまった。下呂にある母方の本家で数日泊まっていたのは確かなので、単にお盆帰省か。夏休みだというのにあまり真面目に受験勉強などしていなかったことは間違いない。

この日、わたしは隣駅の禅昌寺に来ていた。これまた細かいことは忘れたが、伯母に連れられて寺を見物に行ったようだ。

現在もこの姿のままかと思いきや、数年後に改築されたらしい。平凡な絵でも、何が「記録」になるか判らないもので。

新幹線と高山本線、ともに初めて乗ったのはこの6年前、曾祖母の葬儀のため。それは国鉄時代だったから、2度めのこの訪問で「ワイドビュー」初体験だったことになる。
下呂は特急停車駅なので、禅昌寺に来たなら鈍行にも初めて乗ったはずなのだが、残念ながら列車の写真はない。ただ、本家の食事室に貼ってあった時刻表のすかすかっぷりに衝撃を受けたのは覚えている。そこは今も変わらんね。

しばらく列車が来ないと判っていたからか、待つ間に線路沿いをふらふらと散歩していた。無人駅ゆえのフリーダムな感じ。そして、こんなものを撮っていた。

「線路」を主な被写体とした最初の写真だと思う。
タイトルに “POINT” という単語を含む、この風景に著しく不似合いな曲が、何故だか頭に浮かんだ。それで撮ったのだ。そこだけ異様に鮮明な記憶。

ふらりと駅に戻る。黄色い線どころか白線すらないシンプルなホームを、赤い花が染めていた。

こうして観ていると、風景に対する切り取り方が今とほとんど変わらないように思えてきた。望遠レンズという概念すら知らなかった頃とはいえ、絵的な好みはもう定まっていたのかもしれん。

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