ちいさな駅の古今東西 (2)
12 Jun 2009
まさかの前後編、甲子園口探訪の続き。小倉もそうやったけど、元最寄り駅って他人には判りづらい思い入れが発生するよな。
ここの屋台骨が古いレールでできているという話は、どこかで耳にしたことがあった。普段使いにしていた頃は意識すらしなかったが、改めて観てみよう。
おぉ、確かにレール。結構自由自在に変形効くもんやね。
よく観察すると、何かの刻印が。CARNEGIE 1896 IIIIIIIII HANKAKU、と読める。帰宅後に調べたら、これを使っている駅は他にも結構あるらしい。
全部これなのかと思いきや、西側4分の1ほどは普通の鉄骨。
とはいえ、しれっと「昭和10年」だからあなどれない。左から書いてるし、素材的にもこの銘板は後付けとしても、本体はそれだけの歴史を持ってるわけで。
この行灯もなんだか味がある。設置年は読み取れないが、そこそこの年季を感じる。
どことなく一生懸命書いた感がある注意書きも、そう新しいものではあるまい。駅全体の構造を根本的に入れ換えない限り、現役であり続けるだろう部分も、まだまだある。
今回のホームずらしで一番の恩恵は、ずらされなかった2番線以外で屋根が7両分カバーできるようになったことかも。以前は半分近くが屋根の外で、うっかりはみだす車両に乗ってしまった雨の日には難儀したものだ。しかも改札は遥か彼方やし。
大阪ゆきホーム越しの風景に違和感があるのは、コープがないから。数ヶ月かけて建て直すようなので、工事が終わったらまた印象が違ってくることだろう。
少しずつ変わる風景。半分だけ変わった駅。
ふと見上げて気がついた。架線を支えるレールが、屋根部分に取り込まれて一体化していたことに。従来からの上屋が建て替えられず残ったのは、ここをやりかえる手間を考えてのことでもあったんかな。
振り返ると、また各停がやってきた。
321は当時いなかったけど、わたしの記憶にある駅の姿はこうしてまだ残っている。大学に行くにも、バイトにも劇団にも東京にも、どこへ向かうにもすべての起点がこの駅にあった3年半。おそらく西日本で一番多く乗り降りした駅。
1時間の駅ナカ滞在を終え、いつも使っていた北改札を出た。列車一覧が液晶になったことを除けば、ここの雰囲気もかつてのまま。もうしばらくは、今の姿をとどめておいてくれそうだ。
Comments
こんにちは(゚Д゚)ノです
神戸市民時代の最寄り駅は兵庫駅でした。
昭和40年台前半は山陽電鉄の終点が地上にありましたが、
神戸高速鉄道の開業で地下にもぐり、跡地はちょっとしたショッピングモールに。
それ以降の北側の風景はさほど変わりませんが、
平成になって南側が大きく変わりました。
和田岬線や川崎重工に続くヤードがありましたが、今は和田岬線用のホームだけがポツリ。
跡地はマンションが立ち並んでいます。
地震後の再開発の影響もあるのかな。
懐かしの地を久しぶりに訪れるのもいいもんですね。
こんばんはです。思い出の地めぐり楽しかったです^_^
兵庫あたりも色々変遷があったのですね。
あの近辺でも山陽電鉄が地上に出ていたのは知りませんでした。
和田岬線、水色103が昼寝しているとこしか観たことがないので
一度乗りたいんですよ。最近ちょっと支線がマイブームでしてw
こちらに来たのが震災直後だったため、以前の神戸の姿は
判らないんですが、あちこちで「跡地」の再開発が進むにつれて
街の輪郭が大きく変わっていくのが印象的でした。
大学の帰りに見下ろす夜景の光が、徐々に増えていったりとか。
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