居住地によって行き先が違いすぎる修学旅行、北部九州の民としての記憶をたどる話。

小中高と3回経験した修学旅行。どこに行ったかは住む場所や時代によっても異なるもので、首都圏育ちの旦那さんと一致したのは、全国的に定番であろう京都奈良くらい。高校までほぼ福岡県民だった自分の体験も西日本に大きく偏っている。これまで単発的に「再履修」してきたものを含め、改めてまとめてみた。

もくじ

小学校の場合

時期:6年1学期(5月)/日程:1泊2日
移動は全行程バス。東九州道などない時代のこと、最初の訪問地・中津まで2時間かかっている。

訪問先は、地獄めぐり、阿蘇山、熊本城の他、福沢諭吉記念館、ラクテンチにマリーンパレス(現『うみたまご』)など。ほぼ「行った事実」しか記憶にない。

中学校の場合

時期:3年1学期(5月)/日程:2泊3日

往路がグランドひかり。一部地域しか経験しないと言われている「新幹線に乗る練習」も行われた。校庭に実物台の線を引き、時間内に車両へ収まる訓練である。小倉や京都は停車時間が短く、250 人以上を30秒で乗せねばならぬ事情が主因だろうな。

訪問先は、大阪城、興福寺、東大寺、法隆寺、清水寺、二条城、金閣寺、嵐山など。

東大寺敷地内の班行動以外は常に団体行動、屋外でのフリータイム実質なし。最終日の宿は市街地から遠く離れた亀岡の郊外。新幹線で他校と出会いにくい編成端に配置されたことも含め、学区外まで名が知れ渡るレベルのバリバリのヤンキー学校を無事に動かす工夫が随所にうかがわれる。
そしてこれまた、現地で観たモノの印象がほとんど残っていない。成人してからの京都奈良はお手軽レジャーに重宝していることを思うと、当時の自分に寺社仏閣はまだ早かったようで。

高校の場合

時期:2年2学期(10月)/日程:3泊4日

福岡那覇便では 450 人まとめて乗れる機材がなかったのであろう、ANA 組 と JAL 組に分乗で貸切。自分は後者で、これきりの搭乗となった DC-10 での往復。ひこうき初搭乗勢が多かったのか、離着陸で大盛り上がりからの拍手。

訪問先は、海洋博記念公園(当時)、名護自然動植物公園、万座毛の他、琉球村、玉泉洞(ハブとマングース)、ひめゆりの塔、首里城など。同年の大河に由来する「スタジオパーク琉球の風(現『むら咲むら』)」にも立ち寄っている。

3泊中2泊は恩納村の大規模リゾートホテル2軒に滞在。後者はビーチまで付いていたが、いくら沖縄でも10月下旬に海水浴(正式な行事として実施)は寒かった。
なお、同校で何代か続いていた沖縄行きは我々の代で最後となった。別にやらかしたわけではなく、本来はうちの代から行先変更になるところを学年主任のゴリ押しで沖縄維持。次の代から「1年の3学期にスキー」という、修学旅行とは到底呼べない代物になったことを思うと、進学校の悲哀を緩和してくれた主任に大感謝である。彼が行きたかっただけ説も有力だが。

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