La vista nostalgica ’03 (1) Venezia: Palazzo Ducale
25 May 2020
今回は大規模な蔵出しをひとつ。充実の内容だったイタリア旅からそろそろ1年、そこであえて大昔のイタリア旅記録を掘り返してみたよ。わたしにとって初のヨーロッパ、2003 年 11 月のお話。文章だけは旅行直後に出したことあるけど、そういえば写真は大半が未公開。昔話だから笑って流せる、失敗談やや多めでお送りいたします。
そもそも欧州旅行のオフシーズンである11月下旬に渡航となった経緯については、長くなるので省略。準備期間が極端に短く、ネットでの個人旅行手配にも詳しくなく。結果、HIS のパックツアーでフリータイム多めのプランを契約。
スタートは成田の1タミ。離陸2時間前集合に応じて到着するも、催行人数ギリギリの15人しかいない参加者が揃うまでさらに30分を要した。
アリタリアの AZ787、別写真に残っていた “Madonna Di Campiglio” の名からも B777 と確認できる。なにかと遅刻癖がある会社だという前評判も流れていたものの、特に遅れもなくきっちり定時運航。
だが、そこからが大問題だった。
AZ787 の到着地はミラノ。国内線に乗り継いでヴェネツィア入り(当時はミラノ〜ヴェネツィア便が存在した)までが初日の行程。しかし、その乗り継ぎ便の搭乗が始まらない。なんのアナウンスもないまま離陸予定時刻を超過。遅刻癖の噂は本当だったのか。
メインロビーから搭乗ゲートに移り、待つこと1時間。ようやく乗り込んだ小さな機体は、3-2 の座席配置。そして券面の示す座席番号には先客。そこは自分の席だと主張しようとした矢先、先客氏は当機が「自由席」になったことを告げた。ひこうきで自由席。人生唯一の経験であってほしい。
本来の割り当て機材では L 列まで存在したことが、ツアー参加者のチケットで判明している。機材繰りが間に合わず、手当たり次第に持ってきた結果だろう、と添乗員氏はのちに推測していた。
どうにか到着、閑散とした空港を出てお宿へ入る頃には、現地時間23時台。さっさと寝る。
2日めは終日ヴェネツィア滞在。翌日に別都市へ移動のため、何を観るにも1日勝負。
本島周縁部にて送迎バスを降り、水上タクシーで中心部をめざす。しばらく行くと、いわゆる「絵に描いたようなヴェネツィア風景」が見えてくるのだが、
ごらんくださいこの残念な空模様。
その後も天気には一切恵まれなかった。終日晴れた日など1日もなく、青空が出た日も前後に大雨。秋冬の欧州がそういうもんだと知っていたら、この選択はしなかったはず。そこを検討する間もないほど、急な旅行だったのだ。19年の旅行先にヴェネツィアを含めたのは、この苦い経験が理由である。
寒い時期のヴェネツィアには、もうひとつ都合の悪いことが。
曖昧になる、運河と歩道の境目。アクアアルタ寸前であやうくとどまっている状況。
足場が設置してある箇所も見受けられたから、1日違えば自分もそこを歩くことになっていたかもしれない。
一方、団体旅行ならではの利点も。著名施設の見学が、並ばずスムーズにできる。
ドゥカーレ宮殿の館内見学も行程に含まれていた。
ツアー団体に対しては主要スポットで現地ガイドをつける義務があり、見学時には彼らが案内役でついてくる。建物重量軽減のため天井を木造化するなど、解説をその場で得られるのはありがたい。
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