大和は国のふるさと (7) 陵墓に参拝す・2

朝いちで荷物が到着。配達がまさかの8時台で少々びびる。しかし本体内に仕込まれた謎の空き箱、ありゃなんだ。セットに含まれない1本を自分で足せって、いやそれなら最初からつけといてくれてもええんやで? しゃーないから今度買うか。ふぅ。
まあそれはさておき、引き続き明日香探訪のお話。

当初の目的は達成。地図を眺めて、目に止まったスポットを少々周っていく。

こちらは飛鳥寺。発祥は蘇我馬子の時代まで遡るというから実に歴史が長い。

境内がえらいカオス。大仏を収めた本堂以外にも、あれやこれやがひしめき合い。鐘楼もあれば万葉集から引いた歌碑もあり。

さらに裏へ出ると、蘇我入鹿の首塚も。正式な墓ではなく控えめな雰囲気なのは、その後の主流派に敗れた勢力の常か。

ぼちぼち駅方面へ戻るとしよう。

中心部を少し離れれば、あっという間に「村」らしいのどかな景色。岐阜の田舎はこの数年ですっかり見慣れたが、奈良の田舎はちょっと違う。同じ海なし県でも風土や文化は差があるよね。

途中で通過した学校はなんだかかっこよかった。なんせ「聖徳中学校」である。そう名乗る時点でずるい。

往路に立ち寄った陵の裏を行くと、これまた不思議スポット。といっても、正体が何であるか解説を読めば納得。2つの大きな石像物が、細道を挟んで小山の上と下に。

下にあるのが「鬼の雪隠」。つまりトイレである。あー、言われてみれば確かに和式っぽいような。

そしてすぐそこの階段を上がったところに「鬼の俎」。
この2点、実はひとつの古墳だったらしい。確かに、俎の辺縁部に雪隠がぴったりはまりそうな造形をしている。何らかの理由によって、俎の上にかぶせてあった雪隠が落下。後世の人が元に戻すにはでかすぎて放置され、そのまま今に至るのだろうか。しかし上手いこと言ったもんだ。

せっかくなので、すぐ近くにある古墳にも寄っていこう。

おっと、こんなところに宮内庁。管轄施設(?)だからそりゃそうなんだが、宮内庁の建物って皇居一般公開くらいでしか観たことがなく。あとで確認したら、皇室文書や陵を管理する「書陵部」の配下「陵墓監区」に所属する事務所だった。

そんなこちらは欽明天皇陵と言われている古墳。

形状は典型的な前方後円墳。西に面しているこちら側が「前方」にあたる。1辺の半分ほどしか視界には入っていないはずだが、それでも結構な大きさ。
そして、すぐそばにもうひとつ宮内庁管轄の場所が。

吉備姫王墓。欽明天皇の孫で天武天皇の祖母(話がつながってきた)。ただお墓本体より、ある時期からは別のモノがよく知られているようだ。
柵の内側に置かれている「猿石」という謎の石像4体。元は「そのへんの田んぼ」から発掘され、後年なぜかここに移転。たまたま居合わせた地元民らしいおっちゃんが、聴いてもないのにたっぷり解説してくれた。我々が遠方からの観光客に見えたようだが、関西在住と知ってやや拍子抜けのおっちゃん。ま、旦那さんが標準語維持してるからねぇ。

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