別れの曲 (3) 全員集合

ふー。マイナーバージョンアップをいくつかやってたら結構時間かかっちゃった。スクリプトの更新もあるんだけど、実は一番やりたかったのは Amazon 周辺。とりあえず自前でアカウント取りたかったので…。
とりあえず、この話をさくさく進めないとね。次の週末は全然書けそうにないし。

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、07年3月に mixi 生中継していた、祖母の葬儀に伴う北九州・八幡滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を元に大幅加筆再構成したものです。

黒崎の駅で降りるのは本当に久々。それこそ、中学の頃に祖父母宅へ行った時に乗ったかどうか。高校に入ってからは本当に縁のない場所だった。
が、それにしては違和感がない。小倉ほどの大改装がなかったせいか。此処は昔からデッキがあったし。強いて言うなら、そごうだった建物が井筒屋に化けていたことくらい。しかしそれも、数分経って「ちょっと待てあれ昔そごうだったぞ」と思い出す始末。変わったのはロゴだけで、建物側面の特徴的な格子がそのままだったからだろう。

それにしても、腹が減った。そりゃそうだ。空港で買ったベーグルを機内で食べたのが、今日唯一の食事。このまま通夜に突入するのはいくらなんでもまずい。
ふと、改札を出てすぐのところにパン屋があったのを思い出して、そちらへ戻った。

トランドール。久々にその店名を聴いた気がする、ということは、これも九州ローカルか。パンを2つほど買った。

さて、駅にはもう用はない。スイカの通らない改札を振り返る。そのとき目に飛び込んできたのは、ある路線の先発電車が1時間後という表示だった。後で斎場の時刻表で確認したら、福北ゆたか線というものだったようだ。しかしいくらメイン路線じゃないにしても、此処はそんなに田舎なのかと。

1階でタクシーを拾い、斎場の名前と大まかな住所を告げて、さっきのパンを食べてしまう。そう、遊びに来た訳じゃないんだから。まだ実感が持てずにいたけれど。
やはり西区にはあまり来なかったので、車窓の風景にも特に思うところはなく。
そして、ほどなく車は、花輪の飾られた入り口へと着いた。

ちょうど出てきた母に案内され、親族控室へ入る。そこそこの広さの和室。
向かって右側の壁際に、祖母が眠っていた。線香をあげ、顔を見せてもらう。本当に寝ているような静かな顔だった。けど、頬が大幅にこけていたのは正月と比べても明らかだった。先月入院してからろくに食べていなかったから、と、父が言った。

さて、裏の洗面所に回って喪服に着替える。のはいいのだが、寒い。異様に寒い。実は洗面所入り口の真正面が駐車場へ通じるドアで、そこが開けっ放しなのだ。なんだこのありえない寒さ。おかげで近くのトイレも尋常じゃない冷えっぷり。せめてロビーへの扉が閉まっていて本当に良かった。

服を整えて控室に戻ると、徐々に親族が集まりつつあった。
祖母方の親戚は、正直観ても判らない。あちらにしても、普段まったく九州に来ないわたしを観たら「あれ誰?」だろう。しかし、彼らをほぼ完璧に把握している祖父と父は凄いと思う。父は一時期、祖母の実家で育ったからだと、後で聴いた。

一番奥に祖父が、その近くには叔父が座っていた。そちら付近でゆっくりと待つ。
そこへ現れたのは、伯父の長男(T くんとしておく)一家。つまりわたしの従兄弟。諸事情で行方が知れない伯父のかわりに、家督を継ぐことになっている人だ。昔、時々遊びに行ったなぁ。おぼろげに残る面影。
さらに、なんと母の姉妹が岐阜から駆けつけてくれた。こちらの伯父は議員をやっていて忙しいので、弔電をくれたらしい。祖母から観るとだいぶ遠い親戚なのに、有り難いことだ。
そして通夜が始まる前に、伯父の長女(T くんの妹。N ちゃんとしておく)親子も間に合った。この兄妹とは実に20年ぶりの再会。N ちゃんにわたしの記憶がないのも仕方ない。

こうしてみると、現代の葬儀って、親族を強い力で集めることのできる希少な手段なんだな、と気づく。祖母が引き寄せてくれたと思っていいのだろうか。

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