或る小倉日記2007 (13) プレイバック小文字通り

搬出だから朝7時起きなのに何やってんだか。これ上げたら寝るよ。
とまぁ、なんとなく半分意地の世界になりつつあるわけだが。多分お散歩編はあと1回。それが済んだら山は越える…はずなんだけどね…。
あ、今のうちに告知しちゃうと、一旦横浜へ行くこともあって週末更新は多分無理。月曜からどれだけ取り戻せるかが勝負やね。ってそれ、実はくまの昼寝の長さ次第だったりするんだな。夜中はどこにいてもやってるもん。ほら、この通り。

もくじ

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。

そして、市民会館がなくなった時点で、わたしの目論見が完全に叶うことはなくなった。
あの日のルートを再び辿りたいという希望。

勝山公園の更に向こう、小倉で一度だけ TM を観た厚生年金会館。そこから高速をくぐり、公園から市民会館裏を通って勝山プールのフェンスの横を抜け、旦過を経由してモノレールの駅へ。
卒業して最初の連休。長野と散歩した道。
高校の中にいた時には見えなかったものが、一気に見えてきた気がしたあの日。散歩になったのは、たまたま同じ日に高校を訪れた故の成り行き。あれは偶然だったのか、それとも。知る術はない。


それを再現することは無理になった。が、せめてちょっとだけでも。公園とリバーウォークを横目に、東へ曲がって紫川を渡る。
しかし、観れば観るほどへんてこりんな建物だ。後で調べてコンセプトは判ったものの、これが城と並んでいることについてはやっぱり賛否両論だろうなぁ。京都駅よりはましか。


ちなみに、渡った橋がこれ。太陽の橋といったはず。
東側にながーく引き延ばした形でひまわりが描かれていて、西から(ちょうどこの角度)観るとちゃんと丸く見える、という床の絵に象徴されるトリッキーな装飾が特徴。しかし、その横に無数にたたずむちくわ人間の方は当時から正直どうかと思った。ある特定の時刻だけ影がひまわりの形になるんだよ。でも頭の形状がどう観ても、ちくわ。もしくは空洞のなると。こわいよ。確か VOW にも載ったほどの、正真正銘のへんな建築物。


橋を渡り、代ゼミを通り過ぎると、三角形の広い歩道。記憶が確かなら此処はよく屋台が集っていて、おでんか何かを食べたはずなのだが、昼間はただの空間。
今回来る前、小倉で最後に訪れた店は、この歩道の対岸だったかなぁ。確か名前は「黒船」、同窓会会場の飲み屋。97年8月、長野の姿を観た最後の日。もうそれぞれ違う道を歩いていたこともあって、深い話はできなかった。しかしそりが合わない他の輪に入る気もせず、あの頃数ヶ月だけピンポイントで煙草吸ってたわたしと、2人でメンソールの煙を吐いてた。その後すぐ止めたのは、他の理由だったけど。


横を観ると、出来た当時はそれなりに目立っていたような気がする「クエスト」。観ての通り人の気配を感じないのは、正月休みのせいなのかどうか。リバーウォークにも本屋が入っていたから、商売は厳しいんじゃないかなぁ、と余計なお世話。


信号を渡ると、旦過の商店街入口にどんと構えるスーパー、丸和。戸畑にいた時も近所に店舗があったから、地元密着店というイメージがすごく強い。しかし、店内でエンドレスでかかっていた、あなたもわたしもしーじーしー、という歌詞の歌を、就職してから東北の地で聴くとは思ってもいなかった。
ちなみに、商店街の中、丸和の斜め向かいくらいにあったお茶屋さんは、さすがに開いてはいなかったものの健在なようだった。戸畑でアパートの隣室に住んでいた友達のお母さんが、此処で働いていたはず。


それにしても、いくら正月とはいえ、すれ違う人の数の少なさ。リバーウォークと八坂神社だけに人が集中しているのか、魚町もそうだったけど旦過も閑散としていた。
と、これは信号を丸和側に渡った後の写真。最初はそのまま旦過駅から乗るつもりだった。


ほら、旦過駅。実際ここまで来たのだ。が、エスカレーターを昇ろうとしたところで、足が止まった。
ちがう。
小倉駅に行かなきゃ。
きびすを返し、さっきの信号まで戻ってまた北へ渡った。


この歩道橋の角を曲がったら、駅だ。旦過と小倉の駅間は近い。いや、今は「平和通駅」。でもわたしが向かっていたのは、きっと「小倉駅」だったのだ。12年近く前のあの日観た、スナップ写真のように正確に目の奥に残っているあの光景の場所。

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