或る小倉日記2007 (11) 巨大なる変貌

やっぱりちょっと間が空いちゃった。他カテゴリがたてこんでたせいもあるけどね。
てことで、街に戻ってきたのでお散歩編開始。しかし長い1日やな我ながら。てか、この狭いエリアにこれだけ書きたいことが詰まっていたってことがすごいような気もする。市単位では10年いたけど、小倉周辺をうろうろしてたのってその半分くらいなんだよね。それでこの状態ってことは、あの5年はすごく濃かったんだなぁ、と。

もくじ

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。

ほどなくやってきたバスで、再び都心へ。
そして西小倉駅前に止まったとき、ふと窓の外に視線が持って行かれた。さっきも観たはずなのだが、なにしろ倉高へ行くことばかり考えていたからなぁ。それに、すぐ横を走っていると全体像がさっぱり見えないもので、なんとなくスルーしていたのかもしれない。ともかく、今度は道の対岸なので、その存在感がどどーんと飛び込んできたのだ。


昔そこにあったはずの玉屋どころの騒ぎではない。あれよりさらにもっと向こうまで、城壁のごとく見上げんばかりの建物が。な、なんだこれは!
とたまげていると、すぐ次の「室町」に着いた。反射的にバスを降りた。

この時になってやっと気がついた。
かつてそのバス停は「小倉北区役所」だった。その名の通り、レトロな区役所と、せいぜいダイエーと。目立つ建物はそのくらい。
そこはその跡地だったのだ。

01月01日 12:04 川歩き
倉高ツアー報告は後で。都心に戻った。

ってなんじゃこりゃー!! 区役所はどこ行ったー!
はい、リバーウォークとかいう商業施設に化けてましたとさ。存在は聞いてたがこんな無駄にでかいとは…写真じゃわからんがとにかくでかい。新宿のタイムズスクエアくらいはある。
でも中入ると、閑散とした駅前が嘘のような人込み。やっぱ一応90万人くらいは人口いるようだw


リバーウォーク。
何度か小倉入りしていた父から、あるいはどこかで何か小耳に挟んだ話で、その名前だけは知っていた。そうか、これがそのそれだったのか…。まさかこんなばかでかい物体だとは思わなかったので、そこが昔区役所だったことすら気づかずに、往路は通り過ぎてしまっていたのだった。
とりあえず南へ抜けてみたものの、あまりにでかすぎて、この近さでは全体を写真に収めることがなかなかできない。この写真はほんの欠片にすぎない。


さて、そろそろ昼食を考えねば。そこらへんの椅子に座り、疲れた足と肩に一瞬の休息。
くまの昼食のこともあるので、屋外で気軽に食べれるスペースを探した結果、スタバに決定。小倉まで来てスタバかよ、という気もしないでもないが、まぁそれはそれ。しばらく並び、甘めのラテ系とサンドイッチを買って、店横のテーブルでいただきます。
同時にくまにもあげようとしたが、これがまた難しい。椅子の背もたれが心許ないので、わたしのコートを脱いで背中側をふさいであげた。風除けと多少の安全性は確保したものの、やはり寒いのか、くまは終始ご機嫌斜めっぽい感じ。それでもだいたい食べるんだからたいしたものだ。


ちなみに、スタバに寄る前にもうひとつ買ったものがあった。
梅ヶ枝餅。これが判るのはほぼ同郷の人限定だろうが、太宰府天満宮を知っている人なら間違いなく知っていると思われる名物和菓子だ。やたらと美味い。それが屋台で売っているとなれば、買わない訳がない。ついつい5個入りをお買い上げ。
本当は昼に食べようと思ったが、くまがそれどころじゃないので断念。後で皆で食べようと、袋にしまった。


多目的トイレに寄り、くまと自分の用を足したところで、ちょっとだけ館内をうろついてみる。といっても1階の中央部分だけ。
上階には劇場やら美術館分館やらもあるらしかった。美術館といえば戸畑の奥にある本館もだいぶ前衛的な造りだったが、不規則性ではこちらの方が上か。
劇場があるのは多分、わたしがいた頃に始まった演劇祭とも関係あるのだろう。鉄の街からの脱却を図る目的か、当時から市が芸術方面、特に舞台に力を入れだしたという記憶がなんとなくある。それが成功しているのかどうかは、今も現地にいる人にしか判らないのかも。
演劇部同期だった3人のうち唯一連絡の取れる子が、小倉に帰ったと年賀状で言っていた。いつかまた会えたらいろいろ話したいな。

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