或る小倉日記2007 (9) 記憶へのマイルストーン

ちょい間が空いたけど、なんとかまっくで更新再開できる状態になったんで小倉シリーズ再開。ただ、20日から3泊ほど横浜なんで、その間にどれだけできるか判らないのがなんともはや。
今回と次回で高校編はまとまりそう。あとはお散歩編と復路編くらいかなぁ。さぁ、1月中完結がやっぱり微妙になってまいりました。うーむ。

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。

さて、校舎内には入れないから、せめて周辺だけでも観ておくか。
坂を下って突き当たりを右に曲がれば、他にも覚えのあるスポットがたくさんある。


多分高校で一番古い建物が、別館。明陵学院というらしい。元々何の用途だったか忘れたが、主に夏休みの補習の場。木造なのだが、エアコンがあるだけ天国とも言われていた気がする(本館のノーマル教室にはエアコンなど一切なし)。


ちなみに別館は敷地内にもまだある。
これは啓明館。要するに合宿棟。といっても宿泊設備ゼロ。でも2階建で広いし綺麗だし(一番新しかったから)水回り充実、エアコン完備。夏は運動部のものだが、秋は演劇部が占拠していた。もうやりたい放題。
もうひとつは愛宕記念館。多分資料室メインだが、一応そこそこ広い会議室つき。うちが幹事校だった時は、市内の演劇部の定期集会に使っていた。机と椅子の出し入れが我々の仕事だったけど、準備中に机に座って下品な話していたら叱られたっけ。


話がそれたが、その明陵に一番近い出入口が東門。登校時だけ開く。時々車でこの門まで送ってもらったものだ。ってこう書くとお嬢みたいだが、元々此処に決めた理由のひとつが「父の通勤路なので送迎可能」だったりするのでそうでもない。
それと、一応の引退公演(本当に引退するまでその後半年居座ったのはさておき)の前に皆で記念写真撮った記憶がめちゃくちゃ鮮烈なのだ、この場所は。


東門の近くに、校舎に沿って地下へ潜る通路。わたしがいた頃はその薄暗い地下が下駄箱の部屋だったのだが、卒業後の改修工事で下駄箱が各教室前に移り、使われなくなったとの説も。
改修といえば、当時のぼろさを象徴するキーワードとして言われていた「天然うぐいす張り」も消滅したとか。板張りで古さのあまり歩くとぎしぎし鳴りまくりだった廊下も、リノリウムに張り替えたそうで。なんかつまらん。
まぁ、何がつまらんって、その改修工事がちょうどまさに我々の受験シーズン真っただ中の真夏に始まったせいだ。ネット張り巡らしたら暑いっちゅーの。


東門を挟むようにして、南北に長く設置されているのが自転車置き場。わたしは基本的にバス使いだったので無縁だが、使っている人もそれなりにいた。確かこっち側に長野のちゃりがあったっけ。


なんにせよ、東門はがっちり施錠されているので外から観るだけ。それより、此処に来ると決めたときから気になっていた、あそこへ行ってみよう。
東門の前の道をずっと進み、正面のこの坂を上っていくと、その場所がある。


坂はけっこう長く、くねくねと続いてなかなか先が見えない。途中にフェンス。眼下には高校のグラウンドが見える。のぞいてみたが、さすがに誰も練習していない。そりゃそうだ。


そこを過ぎると坂は一段落、軽く下ったりしながら進むと小さな公園が。
2年の冬、次の公演の台本をどうするか会議、を此処でやった。わたしも長野も自作脚本を推しまくって譲らず、結局完成に近かったわたしが勝ったものの、その公演に参加しなかった長野の実力なしでは、仕上がりがぐだぐだになってしまうという現実を見せつけられる結果になったのであった。それまでも一目置いてはいたものの、本気で尊敬したのはその挫折あってのことかも。


とかなんとか思い出しながら、わたしは例の場所を探した。上るのに夢中になって、そこへの正しいルートを忘れていた。ふと横を見ると、高台へ上る道の脇に、なんとか上れそうな細い通路が。こっちに違いない。さあ、挨拶しに行こう。

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