或る小倉日記2007 (8) 卒業生の帰還

やっとたどりついたよ。当日に「後で」と一言で済ませた倉高ツアー編ようやく開始。が、これがまた1回で終わらない辺りが…。ただ、写真のほうは「資料」として撮った側面もあるんで此処では全部は使わないと思う。印象深いとこだけ凝縮してお届けです、はい。
念のため言っとくけど、まだ元日の朝だからね。

もくじ

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。

西小倉駅。大門。そしてバスは蛇行する陸橋を経由し、高速の高架をくぐって、とある停留所にわたしを降ろして去った。
その停留所名は小倉高校下。

01月01日 10:56 あれ?
気づいたらバス乗って降りてた。

92番戸畑渡場ゆきです整理券をお取りくださいw


来てしまった。
最後に後輩に会いに来てから10年。卒業してからはもうちょっと。
いつか来たいと思ってた。99年に回顧録的なものを書いてサイトに載せていた頃からの、ひそやかな願望だった。それがずっとできずにいたのは、勿論距離と旅費の問題もあるけれど、遠慮が最大の理由。それも、わたしひとりの思い出の地へ連れてきても意味不明だろうという配慮より、ここでの思い出を知られたくなかったという方が大きい。
その点がどうでもよくなった今になって、ひとりで来る機会が訪れたというのもなかなかの巡り合わせ。


ベンチで一息ついて、改めて周囲を見回す。
微妙に大きく変化していた小倉駅周辺と違って、高校付近は驚くほど昔の面影のままだった。しいて変化と言うなら、お友達が滑って転んで足を骨折した、地元で著名なうどんチェーンの店舗がマックスバリュに化けていたことくらいか。
路面電車が走っていた名残でやたら広い道路。その跡地を走るバス専用道沿いに、当時の彼氏の家があったこともよく覚えている。家業はたたんでしまい、もうその場所に家はないそうだけど。


振り返れば正門へ続く上り坂。朝、まだ目覚めきっていない身体でだらだらと歩いた坂。あの頃より重い荷物で、えっちらおっちら上ってみる。

帰りはここを皆でだらだら下って、バスが見えたら猛ダッシュ、信号に足止めくらってやきもきしたものだ。信号無視するには、ちょっとこの道路は広すぎる。そういう問題か。


上りきったところに正門。このご時勢だから施錠してるかと思いきや、意外にも全面開放されていた。そういえば正月早々、地元予備校が2日かけてセンター直前模試をやっていたっけ。その対応のためか。
これを中まで上ると、講堂(改築したっぽい)だの愛宕記念館だのと色々見えてよいのだが、今回は後輩などいないし、さすがに当時の先生も残っていないだろう。遠巻きに眺めるだけにしておく。


ちなみに、5階相当の高い部分の4階に、わたしが入学する前の部室があった。稽古場にもしたし、発掘した古い衣装をひっぱりだして使ったこともあった。
窓が低い位置まであるし屋上に出れるしで危険だといって、本来は階段へ続く扉を施錠されていたところを、厚紙を丸めたお手製の合鍵で出入りしていた。その程度で開くちゃちな鍵だった。合鍵がバレて鍵を替えられたら、扉の横の隙間によじ登ってまで入った。
あの頃の演劇部の歴史といえば、先生との戦いの歴史でもあった。そのほんの一面。


坂を上りきった反対側の下り坂。
2年の冬、ちょうどセンター試験自己採点の日。この道路の端っこに寄り集まって、某ラジオ番組の学校訪問コーナー収録に参加した。番組パーソナリティーとスタッフが1人か2人、うちの生徒がわたしを入れて3人と、なぜか当時の彼氏(高校違う)。そんなちまっとした面子で、車をよけながら部の宣伝をし、校歌を歌った。
そして卒業後最初の連休、長野の自転車で一気に下ったのもこの坂。あの爽快感を他の人に穢されたくなかった、それが今まで来れなかった理由の最たるものか。ゆっくりと踏みしめながら進んだのは、重い荷物のせいだけじゃない。

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