古今東西天王寺 (3) 住友の庭広く・2

ここのところちょっと変な天気の日が多い。基本的には一応晴れてたり比較的穏やかだが、なぜか夕方になると雲が湧いてきてパラパラ降ってくることもしばしば。三寒四温な時期でもあるけど、できれば出かけやすいお天気でお願いしたく。
さて引き続き天王寺公園ぶらぶらの巻。

池の東岸に来ると、水面をはさんで美術館と向かい合う形になる。

手前の渡り石から奥へ広がる木と石の配置が、建物の輪郭とうまいこと調和している。そこまで考えて最初から設計したのかどうかは定かでないが、見事なもんだ。

渡り始めのあたりに、石に縄を巻いたものがぽつんと。奥には竹の通せんぼ。日本庭園で時々見かける、主張ひかえめな進入禁止標識。語らずして伝える、暗黙の了解の一形態というべきか。

池を回りながらふと観れば、いきものの姿もちらほら。

人間が渡ってこないのをいいことに、亀はのんびり甲羅干し。

サギは複数羽いた。ときどき縄張り争い的な場面も。てことは、おさかな釣れるんですかね。もしくは大きめの虫か。

大きいようでいて意外と小ぶりな池は、あっさり1周できた。

これから先の季節、かわるがわる花が咲き、訪れる時期ごとに違う表情を見せることだろう。池の西岸にいくつか設置されたベンチを借りて、ちょっと休憩。

西から観る景色はこの10年で様変わりしたであろうことが一目でわかる。主に庭の外側。ハルカスから見下ろしたときは「あーやっぱ公園は緑多いな」くらいにしか見えんかったが、下から眺めりゃあちらのでかさが際立つ。
ともあれ、どんどん変わっていく天王寺阿倍野エリアにおいて、ここは時間の流れがゆるやか。こういう場所がちゃんと残されているのはいいことだ。

北門から出て、さらにちょっと北へ。するとまた水辺に出る。

河底池といって、一説によると上町台地を切り開こうとした跡だとかなんとか。

そんな池にかかる鮮やかな赤い橋。それを渡った対岸は、こんもりした小高い丘のようになっている。これは茶臼山古墳。全国各地に同名古墳が点在している中でも、おそらく関西ではもっとも知名度が高いであろう茶臼山。というのも、

かの江戸初期、大坂において繰り広げられた著名な戦いの舞台。冬の陣では徳川、夏の陣では真田の本陣となった場所がここだった。しかしこの立て看板、きっと真田大河の頃に作ったんだろうけど、すごく味のある絵ですね(婉曲表現)。
でだ。せっかくここまで来たので、ついでにもうちょっと歩いていくとしよう。

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