天領に賑わい帰る (2) 名家繁栄

当サーバが一時的に挙動不審だったようで、障害発生中にお越しの方には失礼いたしました。ちょっと目を離した隙に解消してたんで、何が悪かったのかはよくわからず。たぶん DB 周りの何かなんだけど、こういうのの原因がすぐわかる知識が欲しいわ。
では引き続き9月の倉敷散歩から。

その橋の付近には、このエリアを語るにおいて外すことのできない重要な「家」にまつわる建物が集中している。

日本で初めて西洋美術品をまとめたと言われている大原美術館。その名に冠された「大原」とは、江戸後期からの富豪・大原家。昭和初期頃の当主が、支援していた画家を通じてヨーロッパから集めた絵の数々をまとめて開いたものらしい。和風の建物に囲まれて異彩を放つこの外観も、用途を知れば納得。

橋を挟んで対岸に、そんな大原家のかつての屋敷(国重要文化財)。仲買人として財を成し、のちには紡績業(クラボウ)を興し、財閥並みに栄えた家にふさわしい規模で、どんと構えている。

さらに道を挟んだ隣には、別邸である有隣荘。時代が下ってからは迎賓館的な使われ方をした後、現在は原則非公開ながら、まれに美術品の展示も行っている模様。
なお、まるで竹のように微妙に色合いが異なる不思議な瓦は泉州での特注品、と再び通りすがりの人力車情報。

旧住宅周囲には同家の蔵も数多く位置しているようなので、あの蔵もこの蔵も大原家に属するものだったのかもしれない。
ちなみに美観地区の半分以上は元をたどれば大原家の土地、とこれまた通りすがりの人力車情報。人力車の豆知識ストックすごいな。しかし実際、渡欧にしろ買い付けにしろ相当の資金力がないと続かないわけで、そりゃスポンサーの財力はそのくらいあって然るべしとも言える。

という大原家をはじめとして、倉敷には複数の豪商が拠点を構え、それが現在の賑わいにつながるきっかけとなったわけで。

川をゆく船は積荷ではなく観光客を運び、商店の扱う品物もよりエンドユーザー向けになり。

まあさすがに街の繁栄を作り上げたみなさんも、建物そのものが観光資源になることまでは想像してなかっただろうなぁ。当時の姿を今に伝える、シンプルだけど重厚な表情。

倉敷川が南へ曲がるところで橋を渡ったついでに、そのまま西岸を南下。地区のはしっこの方まで進んでいく。

蔵の形状はいろいろ。用途もいろいろ。店舗もあれば、ちょっとした展覧会の会場として使われているところも。

近年新たなご当地名物として名を上げているデニム製品は、ひとつの路地に小さな店が集合。バラエティ豊かな商品展開で、多くの買い物客をひきつけていた。

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