そこはヨコスカ (2) 広がる遺構
7 Jun 2014
梅雨って普通もっとおとなしい雨が小粒でしとしと降るもんだと思ってたんだが、なんだね今日の豪雨は。川もすっかり増水してるし。というかこれは梅雨関係なくて単なる大雨のような気がする。多摩の方とか道路が通行止めになるレベルのところもあったようだし、皆様お気をつけて。
さて本日は、浦賀で偶然見つけたイベントの展示物の話。
当たり前だが、艦艇建造をやっていたようなところなのでとんでもなくでかい。
ただ意外と「実用に耐えればなんでもいい」的な面もあったようで、鉄骨の中にたまに木造物が紛れ込んでいてちょっと驚く。そこ木製でいいんすかっていう。むしろ軽くて好都合だったのかもしれんけど。
1枚目で安全第一と書いてある梁の下あたりにステージが設置されていた。催し物のない時間帯だったので、ステージ前まで行って振り返ってみる。
わー。同じ間口で続いているはずの突き当たりが随分と小さく見える。高層ビルの低層によくある吹き抜けの比ではない、ある種の開放感。今はこうして多目的ホールのような使われ方もしているが、かつて作っていたものの巨大さを想像するには充分な規模だった。
入口付近では、黒船にまつわる展示も少々あった。
中島三郎助というお名前は初めて聴いた。掲示物によると黒船が来た時の浦賀奉行所の担当さんで、船の構造やら技術やらなんやらを黒船側の担当さんにガンガン尋ねまくってたじたじにさせたらしい。
もちろん勝海舟の解説もあれやこれやと。そもそも当イベントの名称からして、咸臨丸が浦賀から旅立ったのが由来とのことだし。
そんなドラマチックな歴史を持ちつつも、現在の浦賀港は至って平和な模様。
消防車などの展示の奥で、海を眺めてのんびりする人の姿もちらほら。たまに通る釣り船ものどかな景色の一部。
かつて進水式などを執り行っていたであろう光景を、残された設備からなんとなく想像するひととき。
なお、ドック南側にあった設備もまた非常に貴重なものだった。
なんと現存物としては世界に4つしかないという、煉瓦積みのドックだった。船の形状に合わせた先端(手前)の曲面が非常に美しかったのだが、それをもっとよく堪能できる位置は駐車場になっていて近寄れなかったのが残念。
これを小綺麗に整備すると、みなとみらいのアレみたいになるんやな。ああいう使い方もひとつの解ではあるが、こちらは歴史の証人としてこのまま長らえてほしいところだ。
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