こだまする未来の手前で (4) 幻の山の6人

とうとうこの記事を上げる日が来てしまったなぁ。W 編成お見送り記録、最終回。

米原駅に戻り、わたしは思い出の味を仕入れた。

生まれて初めての「乗り鉄」、97年の東海道在来線乗破の道中、昼食に買い求めた井筒屋の鱒寿司。それを手にして向かうは近江長岡。引き戸を開けるのもためらう強風に、待合室にこもってランチタイムとしつつ、沿線へ出向く頃合いを見計らう。
13年前には予想だにしなかった目的を持って同じ駅弁を食べている。だから人生はおもしろい。

29A が大量のお見送り隊に囲まれて首都のターミナルを後にしたであろう、12:30。わたしも出発。伊吹の山に覆い被さる厚い雲。それでも微かな望みを抱いて進む。
さあ、どこで撮ろうかな。
実は決めていなかった。でもなんとかなるという変な確信があった。桜並木の横、小さな山の前、加勢野、柏原。なんだかんだで度々通った、この一帯。猛暑でも極寒でも楽しかった。もう来ないかもしれないから、あとは自分の足に任せよう。

車道を外れ、まだ花には遠い桜に沿って歩く。道は次第に枯れ草に覆われ、うっかりすると草の種の襲撃を食らう。
このまま行くと柏原。きっと多くの人がいることだろう。わいわいも好きだけど、今日はちょっとその気分じゃない。心静かにその時を迎えたい。引き返し、土手の下に降りた。

その場所に立って初めて、流し撮りすると決めた。
慣れている地域とはいえ、狭義では初のポイント。しかもまだまだ苦手な流し。わたしの技量を考えると色々チャレンジャーだが、今思えば、無意識にあえてそうしたのかもしれない。楽な方へ流れるのではなく、懸命に挑むことで、W 編成の最後の仕事に対する最大限の敬意を示すために。
1時間弱の練習は、とても静かに過ぎた。

14:30。柏原の方向に、きらりと目が光る。

残念ながら、山の神様への思いは届かなかった。けれど、わずかに光をまとった横顔。築堤の辺りだけ、うっすらと陽が射していた。まるで花道を照らすスポットライトのように。その先には、ほんの少しだけ青空が。

必死で追いかけた21枚。バッファフルへの恐れも忘れて振り続けた。長く美しいうなぎが、あの小さな山のトンネルに消えようとする寸前まで。

あぁ、これで最後なんだ。ふと手が止まった。


もう通らない東海路を、いつもと同じように滑らかに駆け抜ける、400m の完全な姿。短いトンネルを抜け、加勢野の向こうへ消えるまで、呆然と見つめていた。

ついったーで500系さん宛に感謝の念を書き残し、小さな山の傍らでカメラをしまっていたら、たけぞうさん親子に見つかった。よく考えたら、意外にも夏以来お会いしてなかった。
燃え尽きて帰るわたしと違い、これから黄色さんも狙うとのことで、移動ついでに駅まで送っていただけることに。しかも長岡じゃ不便だからと米原まで。本日の大移動のお話なども伺いつつ、楽しいプチドライブはあっという間。お世話になりました。次は多分山陽エリアで。

一息ついて、それから乗り込んだ新快速でひたすら眠る。目覚めたのは新大阪。視界を埋める、シャンパンゴールドの淀川。にわかに寂しさが全身を埋め尽くす。

最寄り駅のホームから見つめた西の空へ陽が沈んだのは、W1 の長い旅が終着駅に到達したちょうどその頃だった。

撮影的には完璧には程遠かった最後の2日間。でも、この時に立ち会えただけでも良かった。ごく短い間ではあるけれど、500系のぞみと同じ時代を生きたことは、きっと一生誇ってもいい。今はまだ、それを過去のこととして語る気分にはなりきれないけれど。

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