実録・おひとり様物語 遺産編 (2) 万歳三唱

今回東京に1泊しかしなかった理由。東京から家に帰るのと、少し先まで行くのとでは、1000円程しか変わらない。宿は東京より確実に安い。そして東京の用事が終わるのは11/29。…これは行けと言っているのか。新幹線の神様が。
こうして、0系最終日お見送りツアーを組んでしまったのであった。

新横浜。きっぷの都合上、初めて北口の改札外に出た。静岡か浜松の親戚にしか見えなかった。それは間違いなく、この案内板のせい。

そんな東海テイスト全開の駅ビルで、夕食のおにぎりと朝食のパンを買い、余裕でのぞみに乗り込めば、もうそこは西日本ワールド。だって B 編成狙い撃ちしたもん。83A、広島ゆき。下り車内で博多という単語が出ないのはちょっと新鮮。
これを選んだのは乗り継ぎと停車駅が都合良かったから。だが、時刻表をぱらりと観て、ふと気がついた。30分に東京を出る列車と、その30分前に博多を出る列車。それは 6A+9A の関係と同じ。と、いうことは。

京都。14番線に停車した 83A からホームに出る。そこへアナウンス。
「まもなく、12番線に、20:53発、のぞみ50号…」
やっぱりー! しかも障害物のない内側線に来るとはナイス。が、しかし、そこで無情の 83A 発車ベル。やむなくデッキに戻る。ドアが閉まり始める寸前に滑り込んできた 50A の先端を、拝めただけでもよしとしよう。
濃紺の椅子に戻って落ち着く。新神戸まではレポを打って過ごし、あとはのんびりと。土曜夜という時間のせいか、車内は終始空いていた。わたしの隣にも、結局最後まで誰も来なかった。

姫路。ここで降りる。南口改札を出ると、探すまでもなく頭上の青い案内板に宿の名前があった。駅レンタカーと同じような扱いなのは、JR 系列の宿だから。
ヴィアイン姫路という。数年前にリニューアルしたらしく、鍵がいまどきカードじゃないことを除けば古さは感じなかった。博多同様、風呂して寝るだけのため、朝食を確認できなかったのは残念。

で。チェックインしてすぐ外出。駅に戻って入場券。移動中に時刻表を観て気づいた、もうひとつのことを確認するため。ホームの電光掲示を観るまでは賭けだと思っていた。が、見上げたそこには13番線側に「回送 87」という文字。…勝った。
姫路駅の新幹線ホームはちょっとへんな構造で、上り1線(11)に下り2線(12・13)。まもなく来る当駅止まりの 87A が12番線に入ったら、上りホームが見えなくなってアウト。でも13番線なら無関係。後で気づいたけど、87A はそのまま一晩寝て、翌朝6時始発を担当すんのね。そら13番線使うわ。
わたし以外の人はそれを既に判っていたのだろう。12番線には、乗車待ちではない人が十数人。そして11番線にはそれ以上の人だかりが。
「お待たせいたしました」
自動音声に続けての駅員さんの一言が、すべてを物語っていた。


674A。0系が担当するのは今宵で最後。
皆がこれを待っていた。わたしの左右からも、車両の両端からも、1分停車をぎりぎりまで使おうとひたすらカメラが向けられる。一眼レフあり、コンデジあり、ビデオあり、携帯もあり。携帯の人なんかはどう観ても黄色い線の外だったが。
駅に停車している0系こだまを観ることは二度とない。実は宿を取る時、予定通り22時までに着けるか未知数だったので一切意識していなかったのだが、宿の最寄り駅でこのシーンに立ち会えると気づけた幸運を喜ぼう。

あっという間に発車時刻。ゆっくり動き出した 674A の後ろ姿に向かって、12番線のおっさん群から「ありがとう!」「万歳!」と大声が飛び、11番線の壁に反響した。

わたしはというと、いちかばちかの流し(運転席の窓だけ止まったか?)の後、小さく手を振って静かに見送った。他にも手を振る人がいた。

宿へ帰ってあとは早寝をめざす。風呂して、くまレポ上げて、メールも最低限だけ観て。どうにか25時過ぎにはベッドに入ることができた。さあ、最後の勝負は朝の5時から開幕だ。

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