或る小倉日記2014 (5) 日常の街並

夏帰省も無事終了。お互いの葬式話を改めて交換しつつ、実家やいつものご近所割烹などで舌鼓を打ってきた。おそらく実家があと1年程度でまた移動するだろうと思うので、泉州界隈を中心に遊び回れるのは今のうちかな。
まあそんなわけで引き続き小倉のお話。

精進上げを終えた親族の皆様をもれなく見送り、リーガに帰った。

八幡ほどではないが、小倉も西日が街を照らすいい天気。

それにしても、通夜後と告別式前のお斎、そして精進上げ、同じ斎場の仕出し料理を2日で3食もとれば飽きるというもの。あらかじめ申し合わせて、わざと精進上げの箸を控えめにしていた我々親子は、館内の日本料理屋でお口直しの夕食を堪能した。のどぐろの塩焼きを筆頭にどれも非常に美味しく、旦那さんを連れてこれなかったことが心底悔やまれた。そこかい。
なお、その分の埋め合わせは翌週(この土日)に少しはできたんじゃないかと。

部屋に戻ったのは20時頃。チャチャタウンの観覧車は22時まで点いているようだ。

大河を観たり、翌日の予定を立てたり、ここの更新を再開したり、時折通る新幹線を鑑賞したり。冠婚葬祭モードの心を、少しずつ平常モードに切り替えながら眠りについた。

翌朝。日の出の光で起こされた前日同様、自然に目覚めるように少しだけカーテンを開けておいたものの、やはり疲れが勝ったのか、起きたのは7時過ぎ。

もう陽は随分高く昇っていた。ただし、この日は昼前から雨の予報。バッグに雨傘を入れておこう。

朝食はもう少し後、ゆっくりめの8時半。テレビも飽きて、線路を眺める。

415 系の鋼製車もまだまだ健在のようだ。

これは 732A。所定は V だが、日によって E になるらしい。昨日も撮っておいてよかった。しかし、れるすたもこだま主流になって久しいな。

並走してきた、ながーい 783 系。平日朝の通勤時間帯、いろんな需要があるのだろう。

よく世話になった 811 系も、ちょいちょい行き交っていた。

線路の向こうには、もともと競輪場だったメディアドームも見える。現役時代の祖父は市職員で、競輪関係の仕事もしていたという。斎場を小倉にしたのは、八幡より交通の便が若干ましなのと、なんだかんだで小倉にはいろいろ縁があるからだと、父が言っていた。
四十九日、一周忌、3回忌。いずれかでまた小倉に足を運ぶことになるだろう。その時は今度こそ旦那さんと一緒に来てみんなに挨拶しよう。

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