OtiS IV

皆様すでにご存知の通り、1.19 が「忘れられない日付」に加わってしまった先生引退表明。まる2日経っても常に頭のどこかを占領したきりなのは仕方ないとして、それでもなんとか自分自身が納得して前に進みたくて、ほぼ自分の心の整理のためだけにこれを書いている。小室信者歴27年とちょっとの一個人の長いひとりごとです。

一報に接した際の個人的タイムライン

業務終了後、職場での新年会開始までの1時間に社外で休憩していたところ、旦那さんとの連絡の中で第一報を聞く。あわてて各所ソースをあたり、しばし呆然。ろくに言葉も出てこない。必死で絞り出した心の声は、届くかわからないけど先生の Twitter のリプ欄へ。いつまででも待つ、と。
その後土曜にかけて改めて著名人から見知らぬファンの方まであらゆる声を追い、一旦きちんと「悲しみ」を涙としてアウトプット。泣きたい気持ちなら泣いておいた方が後で楽なのは、皮肉にも 2008 年にしっかり学ばせていただいた。

情報源としてのメディア

一次情報としたのは公式 Instagram 掲載の全文(前半後半)、あとはそれと同内容をほぼ忠実に起こしたナタリーの記事くらい。会見動画は直視する勇気がなく観ていない。モデルプレスで言及された「涙ぐむ記者」は Techinsight とのことだが、ネットメディア以外の記者がいわゆるマスコミ然としていたことは、巷の感想から察したのみ。テレビは今に至るまで一切目にしていない。する必要もないだろう。その点に関しても 2008 年の前例からの教訓。
例の出版社に関しては、当初は「アレに追い詰められた、許せん」という解釈をしていたものの、いろいろ考えるうちに「あくまで決定打にすぎず、アレがなくてもいずれは」と考えるようになった。まあ「許せん」だけは変わってないんですけど。

リリース作品で振り返る前兆らしきもの

PANDORA が「1/31アルバム→2/7ミニアルバム」となったのは、不調が明確に現れていたってことになる。JOBS#1 がアルバムというよりコンピっぽくなったのも、綿密にコンセプト組んでる場合じゃなかったのかも。

トークで振り返る心境の変化らしきもの

この3年間、TM 祭り終了後に自分が参加できたのはクリスマスディナーショーのみ。3回分(すべて大阪公演)のメモを振り返ってみた。
2015年はお供が葛 G のみだったこともあって、同年春までの TM ツアーの延長線上にあるような平常運転。
16年で気になったのは「記憶」に関する発言。「2016年のクリスマスはどう過ごしていたか、何か(手がかりが)あった方がいい」「今年のことは忘れない」。色々なことを忘れてしまった奥さんが脳裏にあったのだろうか。あと最終曲の前に「(この日の演奏)終わりたくないですけど」「来年会えるといいですね、会いたいですね」やたら名残惜しそうだったのは覚えている。
さらに17年。「すごくいい日に大阪に来れてよかった、感謝しています」「大阪はよく来ているほう、今後もよろしくお願いします」「また呼んでいただけるように」等々、うれしいけど主催のパチ屋に媚びてるのかとすら現場では感じたサービストーク満載。
しかし今考えると、この1公演のためだけにわざわざ準備して大阪まで来てくれたのは奇跡に近い状況。だって今日から1ヶ月以内だよ? もしかしたら「音楽だけに専念できる貴重な時間」だったから来てくれたのかな。闘病中とも難聴とも当日は一言も言わず。「(TM 3人集まれないのは)いろいろ事情もありまして」「(翌日も忙しいのは)何とは言わないがこう、いろいろあるでしょう」は本当にギリギリの愚痴だったんだ。きっと翌日から先生を待っていたのは現実の数々。「みんなで USJ 貸し切ってハリポタ行こっか」とか無茶言いたくなるくらい、せめて今だけでも忘れたい何かを抱えて。
あんまり妄想が過ぎるとどこぞのライター諸氏みたいになるんでこの辺にしとくけど、ともかく16年以降の発言が弱気に傾いていってたのは間違いない。何故それに気づかなかった自分。

これからの「潜伏者の任務」

求める声があれば復帰も有り得る、という趣旨の心境も会見では上がっていた。
だが冷静に考えれば、そう簡単に解決する問題ではなかろう。執行猶予が明ければ済んだ 2008 年との一番の違いは、自分より若い伴侶の介護という期限のない戦い。その負担を仮に軽減できたとして、次は先生自身の体調と心を整える時間が必要。わたしたちがどうしても望んでしまう、音楽家としての活動は、それらを乗り越えた第3フェーズ、先生の気持ちがそちらへ向かう余裕を持てた時のお話。
今の時点でファンにできることはあまりない。応援の気持ちは届けたいが、過度な期待で負担をかけるのも望まない。せめて作品を買って経済的に支えることくらい(当然 PANDORA はシングル共々予約済)。
道のりが険しいことくらいわかっている。
けれど、もしも先生が、我々の存在を、声を、熱意を、求める時が来たなら、それには全力で応えよう。そのために今は、まずきちんと食べて寝て自分自身の健康を保って、そして日々をきちんと生きる。ファンとしての力を出すべき時に発揮できるように備える。それが任務。
1994 も、2008 も、わたしたちは乗り越えてきた。いつかきっと 2018 を乗り越える日が来ると信じたい。

あの時「預かった」バトンを握りしめて。

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