歴史ものがたり紀行 (2) 炎上する覇者

早いもので当家周辺、もう花吹雪がバンバン舞っております。風の航跡が描かれる道路に、ほんのりピンクに染まる側溝。今週末に楽しめるかは微妙で、もっても日曜が雨予報だからそこまでか。それ以前に4月から動きにくくなるって話も。うーむ。
なわけで月初の巡礼兼散策、最後にもうちょっと。

阪急でさらに進み、向かったのは京都市内。中華屋行くときに越境しないからと大見得切っておいてなんだが、まあ高槻まで来ちゃったら京都は誤差範囲やろ。
大宮で下車、東へ少し行って油小路を北上。あいにく小雨がぱらつく中、しばらく進むと「名所」到着。

一見すると単なるいまどきの小綺麗な建物。右は高校、左は老人ホーム。関西の学校事情に疎い当家、この堀川高校というのが結構優秀な進学実績を上げていることを帰宅後まで知る由もなかったのだが、本題はもちろんそこではなく。

ここが本能寺跡でして。
以前あった小学校が90年代に廃校、跡地に現在のものが建ったというから、この碑はそのときの設置物だろうか。観ての通り「能」の字がちょっと異なっており、パソコンで打てない字体なのがポイント。一説によるとよく出火したから「ヒ」を避けたとか、当時はこっちの字体が標準だったとかなんとか。

建て替え前からありそうな道標も、別の角に残されている。

でだ。例のアレの後、本能寺は秀吉が別の場所に移転させた。歩けない距離ではないので、最近の運動不足解消も兼ねてそちらへも行ってみよう。東へ進みつつ、1本南の道へと移る。

そのまま進めば錦市場。海外からのお客様が押し寄せていた頃はあまり寄り付かなかったので、もう5年ぶりくらいになるか。それなりに賑わう中、昔寄った店が姿を消していた。

つきあたりまで行ったら新京極を北上。パワーワードが躍る京都ジョークに頬を緩ませつつ、最後は寺町通りに合流。

移転後の本能寺は、その寺町通りに面したところに表門を構えている。

電車で直接来るなら地下鉄の市役所前駅がすぐそこ。まあ、跡地からのんびり歩いて30分程度なんで、観光しようとするとすぐ歩かされる京都としては標準範囲か。

こちらへ移ってからもなお複数回の火災に見舞われ、結局今建っているのは昭和初期に再建された本堂。撮禁の堂内も拝見してきたけど、天井から吊られている装飾がオール金色で大変お派手でございました。秀吉の影響だろうか。

そして本堂のかたわらに、信長を祀る廟が設けられている。2月は人多かっただろうなー。と、高槻と似たようなパターンで染谷将太さんの顔を思い浮かべながら。

こうして、結果的に戦国武将にまつわるスポットのハシゴとなった1日。

その後は梅田に戻り、買い物を経て、勢いで久々に夕飯を外食。横浜以来数年ぶりとなる竹葉亭にて、大変おいしいうなぎをいただいた。

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