OtiS IV

朝晩で気温差が激しいせいなのか、頭痛がしたり喉を痛めたりといまいちな現況。体調管理に注意してるつもりでも、季節の変わり目はどうしても波が出やすくなるもんだ。今日は布団に薄手の毛布1枚足してみるかなぁ。皆様もお気をつけて。
なわけで引き続き彼岸の南禅寺から。

水路閣を出たところ、法堂の裏に「方丈」なる棟がある。
ここは多数の庭を備えており、観覧は有料(三門とは別料金)。いちいち個別に有料なのはさすが京都である。が、この機を逃したら一度も観ないまま一生を終えかねない。やっぱ寄るわ。ここで再び500円お納めして、いざ。

入って最初にあらわれる庭は、通称「虎の子渡しの庭」。江戸初期に作られた枯山水の代表的なもの。なにが虎なのかと思ったら、川(白砂)を虎(岩)が渡る様子を模しているとかなんとか。そのモチーフが意図するところは、明確に語り継がれているわけではないようだ。

ただ、大岩を寝かして配置するのは禅寺としては斬新だったそうで。元をたどれば中国文化の影響から、岩を配置する場合は山に見立てるのが定番なところ、この庭はその慣習を採用しなかった。それを知った上で振り返ると、険しさではなく穏やかな雰囲気を演出した結果のデザインだったのかも。
ちなみに方丈のみどころは庭だけではなく、室内に狩野派のきらびやかな襖絵(復元)が多数配置されている。いかにも狩野派全開の派手さと遊び心が感じられてよい。

別の枯山水(小方丈)を経由して、さらに奥には緑豊かな空間が広がっていた。

六道庭といって、こちらは仏教の世界観を踏襲した比較的新しい庭。悟りの境地に達していない人間は6つの世界をぐるぐる回り続ける、といったような意味があるらしい。
あー、自分も間違いなくぐるぐるタイプですわ。苔がふかふかそうとか、右側の木(百日紅かな)は花が綺麗だとか観ちゃうもんね。

方丈の北東には渡り廊下が敷いてあり、その先の僧堂へと続く。僧堂自体には入れないものの、周囲に配置された様々な庭の表情を眺めて歩く回廊として開放されている。

うまい具合に曲がりくねっており、他の拝観者とも比較的ゆったりした間合いを取れる。まあそれは閑散期だからだと思うけど。

この井戸らしきものは本来、右側にある茶室(窮心亭)のために作られたものだろうか。

庭のずっと奥、とても近づけないポジションにも別の茶室(不識庵)。茶室はいずれも戦後の寄進による建築だが、新旧をどうこう言うよりも、昔も今も南禅寺が大切にされていることの現れとも解釈できるね。
窮心・不識ともに「真の自分に近づくための心の修養」にかかわる語句。都の喧騒から一歩距離を置いたこのロケーションは、心鎮めるにもよい場所であろう。

と、そんな感じで、束の間でも煩悩は晴れただろうか。

境内を後にして、もうちょっと散歩を続けるとしよう。

それにしても敷地が広かった。それぞれの場所ごとに雰囲気が全然違うのもおもしろい。

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