或る小倉日記2015・祭の夏 (1) 静寂から混沌へ
27 Jul 2015
春にちゃりを買った時、3ヶ月くらいで点検来てねと言われていたのでようやく行ってきた。隣駅に近い立地なのでさぞ時間かかるだろうと思いきや、最寄り駅まで行くのとあまり変わらず。いい運動になった。
さてここからは例の「法事のハシゴ」後半戦について。でも大半は法事と無関係な話。
もくじ
ごあんない
祭りの雰囲気を最大限に伝えるため、祭り参加者の方に対するぼかし等の加工は行っておりません。もし御自分が写っており、なおかつ掲載をご希望でない場合は、本記事コメント欄までおしらせください。
その日、新大阪はおそろしいことになっていた。
夏休み初日、みどりの窓口に行列。そこへ台風の追い討ち。吹田以東・神戸以西の在来があかんことになり、京都や明石姫路に行きたい人も幹線に殺到。結果、入場改札にまで行列発生。あの広い中央コンコースが完全に埋まってしまい、改札前の両親を見つけるのに電話が必要なレベルだった。
ただ、その割に我々が乗るのぞみの直後のさくらがスカスカだったのは解せぬ。
それでも我々は西へ向かう必要があった。
予定通り小倉到着。古い写真には、両親が式を挙げたステーションホテル。そして新しい方には、父が顔パスになるほど利用したリーガ。
通い詰める理由であった、祖父が亡くなってまもなく1年。この日はちょっと早い一周忌催行日。義父さんの初盆ともろ被りして葬儀に来れなかった旦那さんは、せめて一周忌は出たいと当初から言っていた。今回はギリギリのところで日程被りを回避し、4人でやってきた次第。
そんなリーガの、去年のどぐろが絶品だったあのお店でランチ。
を終えて移動しようとして、ふと気づく。そうか、祇園太鼓シーズンか。しかもよく読むとこの日が実質初日。なんとまあ。
タクシーは紫川沿いから、かつての電車通りへ。とんでもなく綺麗になった西小倉駅、クラス会で使ったボウリング場(現在はパチ屋)、10代の頃の恩人たちが通った中学、小学生の頃常連だったいとうづゆうえん(現・到津の森公園)などなど、心当たりありすぎる風景に1人だけ盛り上がる。
一周忌の会場は、祖父母が檀家だった八幡のお寺。住職と我々だけの超ささやか規模ということもあって、全体にアットホーム気味。読経前の雑談タイムでは、話の流れでわたしの出身高校と中学を伝えると、二者間のギャップに驚かれる。そして本題終了後の帰り際、置いてあったお菓子を大量に渡してくる住職。バッグから溢れかかるほどもらってしまった。
再びタクシーを拾い、寺から少し離れた高台にあるお墓へ。軽く洗ってお供え物と線香を添え、みんなでごあいさつ。しかしあまりにも暑いので、タクシーにそのまま待っててもらったのは正解だった。
でだ。今回は日帰り。復路の新幹線までやたら時間があるので、ついでに祭り見物していくことにした。
実は、小倉祇園をまともに観たことがない。小学生の時は戸畑民だったし、中学では色々あってそれどころではなく、高校も部活やらキャンプやらでやっぱりそれどころではなく。「わっしょい」の時期に屋台巡りならしたことあるかな、くらい。さて、どんなもんかな。
とりあえず銀天街に入り、ドトールで冷たいものを一杯。背後では、いかにもそれっぽい皆様が休憩中。
我々が店を出る頃、彼らの休憩も終わり。このまま魚町二丁目の方々の後を追うと、ほどなくしてアーケード内で太鼓と鉦が鳴り始めた。隊列に追いつき、くっついてしばらく歩く。
その名の通り、祭りの主役は太鼓。テンポは決して早くないが、特徴あるリズムが響く。
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