余暇は六甲にあり (7) 静寂の宿泊地
15 Jul 2016
前回の本格治療から数年。旦那さんの健診をきっかけに、わたしも歯医者へ行くことに。クリーニングですっきりするも、案の定虫歯複数の指摘を受けた。人気の医者みたいで、次回は再来週。こりゃ長期戦になりますな。
まあそれはさておき、山上散策は歴史的なものに触れるターン。
六甲山ホテル。特にこちら旧館は戦前の建築で、山上駅とセットで近代化産業遺産に指定されている。山小屋風かつ品のある正面が素敵。
わざわざ山の上まで訪れたお客さんを、温かく迎えていたであろう玄関にも気品が漂う。
しかし、裏に回って残念なことが判明する。昨年末をもって、老朽化につき旧館全体が営業終了となっていたのだ。昨年末ってほんの半年前やないですか。しまった、開いてるうちに来ておくべきだった。泊まりたいとまでは言わんから、せめて内部見学できるように耐震補強してくれたらなぁ。
もちろん本館はふつうに営業中。
ちょうどガーデンウェディングが催されていたようで、司会者の声やら BGM やらが賑やかに響く。
なお余談だが、車道を挟んで本館向かいにあるジンギスカン会場。多分ここ、学生時代の配膳バイトで来たわ。
普段は大阪市内で披露宴か会議だったが、たまに遠征を命じられることがあった。尼崎で大会議4時間とか、奈良ホテルで夜まで立食パーティとか。最もイレギュラーだったのがここで、なんと客のテーブルでバーベキューを焼く担当。自宅にトング文化のなかった当時の自分には、海老を裏返すだけでも大変難しいお仕事であった。見晴らし最高とか言ってる場合じゃないっす。
と、そんな昔話はさておき。次のバスまでまだ間があるので、1つ前の停留所へ戻ることにした。そのバス停の名が「記念碑台」。なんの記念碑かと思案しつつ数分歩き、さらに高台の階段を上る。
うん。で、なんの記念? と思ったら、付近に胸像発見。
アーサー・ヘスケス・グルームさん。明治期に自腹で六甲山の開発や植林に着手した方らしい。
胸像は戦後の設置。それと向かい合って由来を語る「六甲山の碑」は、戦中に一旦消えるも戦後に再建。これが「記念碑」。山開きもここで開かれるようだ。
眺めを楽しんでいたら、ホテルの方(上写真では背後)から歓声とともに風船が飛んでいった。
頃合いを見計らってバス停に戻り、次の行き先を考える。よし、暑いからアレに行ってみよう。
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