経世済民を夢みた家 (2) 息吹を感ず

ううう。今年も健康診断済ませたのはいいが、今回の施設はバリウム大盛り(横浜で行ってたとこの1.5倍)、さらに終了後渡されるおくすりが超強力。帰宅後昼過ぎからわりともうぐったりですわ。
まあそんなアレな話はさておき、小林一三記念館の巻後編。

この洋館には「雅俗山荘」という名がある。雅と俗という両極端をいずれも好んだ、氏の想いが詰まっているということらしい。では室内へ。

廊下と呼ぶにはだいぶゆとりのある空間。左には比較的小さな区画があり、生家の模型や、亡くなったときの様子(新聞記事やヅカの音楽葬など)が紹介されていた。
で。反対側へ進んで、思わず感嘆の声が出る。

大きな吹き抜けと窓。リビングにあたると思われるこの場所で、客人を迎えたことも多かったであろう。
ちょっと余談。この手の貴重な建物は撮影禁止であることも多いのだが、その手の表示がさっぱり見当たらない。悩んでいると、係の人が寄ってきて「風景的に撮るのはいいんですけど、この部分『だけ』では撮らないようにお願いします」。と言われたのが、奥の明るい部分。氏の肖像(確か小磯良平の絵)と、壷や置き時計などが飾ってあった。美術品のクローズアップはいかんってことね。納得。

そんな話はさておき、実に素晴らしい空間。

堂々たるシャンデリア。落ち着いた佇まいのソファ。2階へと続く階段。暖炉には、かつて実際に暮らしていた頃の写真も。

階段を上がりつつ見下ろす。ここでいろいろな会話が交わされたであろうことに思いを馳せつつ。

上階には、およそ半年ごとに入れ替わる企画展示(ここも撮禁っぽい)。野球の話だった。実にさまざまな分野で氏の貢献があったことに、改めて感心。

奥へ進むと、年季漂う本が並ぶ書斎や、

これまた語らいの時を感じさせる応接間。

そして奥様の部屋。和室なんだけど板張りな辺りがちょっとモダン。

南面の窓からは庭が一望できる。このおうちの中で一番いい部屋なのでは。

さらに。なんとユニットバス付きですよ。設置当時なら最先端であったろう設備。やはり愛情の為せるわざか。

そうこうするうちに、瞬く間に時間が経過していた。閉館となる17時も近い。

ほぼ予約制に近いレストランでは、さぞゆったりと過ごせるであろう、などと考えつつ、そろそろおいとまする。

我々が今暮らすエリアの礎を築いてくれた、偉大な功績に感謝。

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