わらべに還る弁天町 (3) オペレーションの敷居
21 Jul 2009
今回の某誌は見事に綺麗さっぱり玉砕です。はい。詳しくは明日以降。軽く落ち込みつつも淡々と、こうはくの続き。多分あともう1回。
第4室。いきなり現れるのは、ばかでかいゲージの模型がぐるぐる走る空間。4本分のシミュレータがついていて、そのチョイスが実に地域密着。223、321、レールスター、そして言うまでもなく500も。
どこかのちっちゃい子が500を操作していたが、誰にも操作方法を教わらずやっているようで全然要領を得ず、走行途中で放置していなくなった。
思わず後を引き継ぐ。しかーし、わたしはシミュレータの類がすこぶる苦手なのだよ。マスコンはどのタイミングで緩めるのかとか、ブレーキのさじ加減とか、もう全然無理っす。どうにか駅に持って来れただけましか。
内心冷汗たらたらで、ささっと第5室へ。
いろんな形の信号が、目の高さにある。普段は見上げるのが基本なので、ラピュタのロボットみたいな物体と真正面から向かい合うと不思議な感じ。
一部の信号はボタンを押してパターンを変えることもできたが、動いてんだかよくわからんボタンも。
この奥には半分スケルトン化した101系。お子様で賑わっていた。
信号の反対側へ回り込み奥へ進むと、柱の傍らに謎の装置。
なになに、数字ボタンを押し込んで起動するとそうなるのね。ふむ。ちょっとやってみよう。押しごたえのあるボタンをしっかりへこませて、えいっ。そして見上げれば、ベストテンのパネルと同じあの方式で、黒い板がパタパタと。
…しまった、さくらは直通なんやから鹿児島までやるべきだった。博多で止めたらつばめやん。などと時代のずれた後悔をしつつ、既にレトロ感すら漂わせる初期の自動改札をフリーパスでくぐってみたりして。
続いて第6室。ちょっと意外なものがあった。
梅小路に何か併設するかもってニュースが流れた時、「関西の私鉄も」云々という一文を観て期待したのを覚えているが、既にここでやってたのね。模型ながらそれぞれ車両や、駅員さんの制帽がずらりと。
そのまま入っていくと、国鉄時代からの広告がガラス越しにぐるりと取り囲む空間。
左端はわざと懐かし系で作ったんだから当然だが、右端となんだか似ている。やはりここでも500だけが異質。
そして、阪和の車両が今とあんまり変わらなくてちょっと笑い、廣島鐵道局という字面を目の当たりにしてまたちょっと笑った。
Comments
こんばんは。
弁天町ですね。国鉄時代は交通科学館でしたが…
中学生の時だったか、青函連絡船のことを調べによく通いました。
図書室、今と違って昔は資料の複写が出来たのです。
この前実家でそのときの資料が出てきて、こんな事やってたなぁと。
相方には恥ずかしくて言えませんでした。
ソラリー(黒いパタパタ)は、昔は新幹線で使ってたモノで遊べたのですが….
今は展示品の中に入れなくなったモノも多く、いろいろと変わってしまいましたね。
こんばんはです。
思い出の品の発掘現場って、必要以上に手が止まりそうですねw
残念ながら図書室に寄る暇がなかったのですが、ここみたいに
ジャンルを特化した施設があると、調べ物には助かりますね。
次の記事で写真を出す予定ですが、新幹線の所にあったソラリー
(今まで名称忘れてました^_^;)は蓋されちゃってました。
当初は触ったり入ったりできたのに今は…というと大宮のアレも
同様ですから、最近の実物展示は何かと難しいのかもしれません。
こんにちは。日食はTVで見ました^^;
弁天町の交通博物館はこんな様相でしたか。今度大阪に行った際に時間を取って見に行こうと思います^^
関西の私鉄コーナにある模型が意外と古い車輌ばかりなのは・・・。近鉄のあおぞらとか写っていますし。でも自分(JRE)は321系なんですね。
こんばんはです。
日食の時は曇ってたので最初からTVで観るつもりでした^_^;
弁天町は梅小路と並ぶ「近くて遠い施設」のような気がします。
お近くにお越しの際は是非どうぞです。
私鉄模型は大阪市交の時点で目を疑いましたw
あと非鉄コーナー(車とか飛行機とか)も年季モノが中心でした。
自社以外の資料集めは何かと難しいのかもしれませんね。
公開から30日以上経過した記事のコメントは締め切っております。あしからず。