ふるきをたずねて (2) 幻の月光 / 1997.08.14
4 Jul 2009
疲れたので今日のまとめは後にして、昔の話を。98年にデジカメを買う以前、フィルムカメラを自分で所有したことは一度もないので、要するに全部写ルンですクオリティなのはご容赦を。
この列車に乗ったという話自体は、昔サイトで書いたことがある。指定席があふれかえっていたので荷物置き場で寝た、と。自由席が設定されていた頃ならではの、反則スレスレ技(ていうかアウト?)。
もう覚えていないが、おそらく大阪から乗ったのだろう。本来降りたい目的地への到着があまりに早すぎたので、終点まで行こうとその場で決めた。
真夏の朝。博多は暑かった。
ムーンライト九州。昨冬が最後の運転だったっぽいと言われている、あの臨時夜行列車。これがなかったら、財布に余裕のなかったわたしが同窓会に出席するのは、相当困難を極めただろう。ま、この回に限っては意地でも行ったと思うけど。
通りすがりのおばちゃんが、シャッターを押してくれた。
一旦天神まで出て朝食をとり、書店で暇をつぶして小倉に引き返す。その車中でふと、窓の外、斜め上に何か停まっているのが見えた。
これが、中学の頃に一度乗ってみたいと憧れたハイパーサルーンが姿を変えたものであったと気づくのも、だいぶ後の話。
小倉に着くと、なにやら工事中。ホームはやたら狭かった。
その狭いホームの片隅で、つい撮る。タウンシャトルって何だったのか、当時も今も判らないまま。博多〜小倉って在来線は新幹線の3倍かかるのが相場だったので、シャトルって言うほど速いぞ感もなかったし。
同窓会で果たしたかった唯一の目的だけは達したけど、なんとなく空虚感が残った。そのまま、わたしは会場の飲み屋を後にして夜の平和通を駆け抜ける。時間が迫っていた。つまり、帰りもムーンライト九州。0泊3日の強行軍を組んだあたりに、学生の金のなさがにじんでいるな。
どうにか間に合ったムーンライトは、往路を上回る超満員っぷり。デッキから客室にすら入れない。結局、荷物を抱え、雑誌を枕に通路で寝た。どこのスラムだよ。
それからもうすぐ12年。
あの日が最後の再会にならないことを、わたしはまだ祈っている。
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