月のない夜に走り去る

ダイヤ改正前最終日の金曜。なので何か撮ろうかと思ったけど、雨降ったからやめた。そのかわりと言っちゃ何だが、ニュースで騒がれることもなく、こっそり今宵で定期便から消える電車にかつて乗った思い出を蔵出し。


って初っ端から「既に消えて久しい電車」を出してどうする。383自体は別便で健在だが、これは定期運行時代の急行ちくま。

きっぷを観るに、当初これに乗る予定はなく、おおかた新快速に乗り遅れて救済列車として使ったんだろう。後にも先にもちくま乗車はこれっきりなので、むしろいい記念になった。

で、本題はこっち。名古屋で追いついた、ムーンライトながら。

この時乗った車両の写真はない。暑いとか(初夏なんで)さっさ乗って寝たいとか、そういう理由。珍しい体験ではなく、ただの移動手段として使っていた証拠。その割にパタパタの写真があるのは、名古屋乗車が珍しかったってことで。

初めて乗った日が正確にいつかは忘れたが、97年であることは疑いようがない。少なくともその年の10月頃までには、東京往復の代表的手段になっていたっぽい。入り浸っていた某コミュニティで「ながら族」と称していたほどだから、よほど乗ってたんやな…。
そんな時期を経由した上で久々の乗車が、写真を撮った98年6月。

18きっぱーとしては勿論、普通乗車券の学割でも頻繁に利用した。証明書発行のためだけに、講義ない日にキャンパスめざして登山したことも度々。それで新幹線片道分と考えるとやっぱり安い。
一番ありがたかったのは、宿代が浮くこと。目的が友人と一緒にライブとか遊びとかだったんで、ご好意に甘えて友人宅にお世話になった夜は数知れず。それどころか「往路ながら→翌日遊ぶ→その夜に復路ながら」なんて強行軍もしばしば。なので、学生時代に東京のビジネスホテルに自腹で泊まったことが一度たりともない。

ともかく、目覚めれば丸の内。4:50。

すがすがしいほどの人の少なさ。東京に泊まって早起きを目指しても、始発の遥か前に駅を眺めることはなかなかできない。ある意味、超早朝に到着する夜行列車の乗客の特権だったかもしれない。他にやることないし。

しかし当時は今以上に知識がないもんやから、復路で撮った肝心のながら=373がものすっごい見切れ放題という始末。

オフシーズン故とは思うが、これをのんびり撮っている時点で、大垣ダッシュしてないことがよくわかる。そして、隣の113がまもなく貴重になるとは微塵も思ってなかったことも。

その後上京してからは使う理由がなくなり、関西に戻ってきたら今度は乗れる体力がなくなり、しかもいろんな意味で「東京行くなら新幹線!」になってしまったので、ながら族だったのは結局2年足らず。が、何度も何度も乗っただけに、このたびの臨時化(&車両変更?)はやっぱり一抹の寂しさを禁じ得ない。
そうそう、後で気づいたのだが、もしかしたら500や300の磁励音が好きなのって、207じゃなくて373の刷り込みだったのかも。あの音を出す電車で遊びに行くぜ!みたいな。

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