或る小倉日記2007 (16) 過ぎし日にお別れを
31 Jan 2007
ぎりぎりとはいえ、1月完結という有言実行を果たせたことにまず安堵。リアルタイムで読んでくれた皆様含め、約1ヶ月の長丁場におつきあい感謝。
というわけで、出せる写真は大概出したかと。本当は高校とか神社とか相当ボツテイクあるんだけど、それは資料用。
それより文章がこんな長くなると思わなかった。昔書いたやつとかぶる話も多かったけど(99年頃からお越しの方じゃないとわからんか)、ここでまた記憶の棚卸しができてよかったよ。それこそその昔のやつ、書いた後一度頭から抜けちゃった話もあるんだ。だからこのパソコンとネット自体が文字通りの意味で記憶媒体。
ごあんない(毎回掲載しますよ)
このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。
幸い、くまが目覚めたのは夜中に1回だけだった。初日は見事に邪魔され、睡眠薬も効きが悪かったという父が、ゆっくり寝られただけでもほっとした。
今度の朝食は皆でまともに食べることができた。和食はおかずバリエーションが少ないので、結局また洋食。食べ終わったら軽く部屋を片付け、チェックアウト時刻ほぼぴったりにフロントをあとにした。これからまた祖父母宅へ寄る。
滞在時間は超短かったけど、お世話になりました。雨粒の車窓越しに、リーガを見上げた。
01月02日 10:05 さよなら、小倉
リーガを出たら昨日からの雨。
駅北で高速乗ったら、あっという間に倉高近くを過ぎ、TOTO本社横を過ぎ、三たび祖父母宅へ。そこは八幡で、昼過ぎに空港直行だから、もう小倉市街は通らない。ずっと来たかったけど、来づらかった場所たち。
思わぬ形ながら、来れた事。時の導きに感謝。そして、ね。
この旅の期間中、マイミクの皆様が何度も読みに来てくれたのも嬉しかったり。
ひとりじゃないと思えた。
ありがとう。
普段は観ての通り庭で全部書くので、だいたい1人あたり1日に1回くらいは観にきてるな、程度の、mixi の足跡。しかしこの期間中、携帯しか使えないこともあって、わたしの更新が普段ありえない頻度にのぼったせいか、カウントがいつもと全然違う伸び方をしていた。
存在は知っていたのに、何かを回避しようという感情が働いたのか、なんとなく入らずにいた mixi。が、06年になり、ふとした会話の弾みで招待してもらって、そこから何かが大きく変わった気がする。
結婚、妊娠、出産という女の大イベントを経るうちに、知らぬ間に閉ざされていた、外との繋がり。それを、少し取り戻すことができはじめているんじゃないかな、って。
どこにいたって、人は皆、繋がっている。
そんな台詞を、昔何かの番組で聴いた。もしそうだとしても、繋がっているという証を追い求めてしまうのが、寂しがりやの生き物の性なのだろう。
皆がいてくれるなら、わたしはきっと大丈夫。
だから思い出に浸る時間はおしまい。「現在」の時間に帰ろう。
祖父母宅で昨日のおせちの残りと、焼いた餅をつまんで、軽く休んだらもう出発の頃合だった。
ベッドのある部屋の窓を開けて、スイフトに乗るわたしたちを見送る祖母は、やっぱり寂しそうだった。あと何週間かで、また会えるからね。くまの手を持って振った。
父も名残惜しかったのだろうか。車は高速こそ乗ったものの、最短距離ではなく、あえて大回りをして空港の近所まで有料道路を使うルートを選択した。往路にも横を通った、かつての自宅と中学をもう一度通過し、途中でジャンクションを越えて、東九州自動車道へ。
しかしこの道路がすごかった。通っているところが超山の中なのはともかく、IC の番号が「1」しか存在しない。1は空港 IC。つまり、現時点では空港専用道。「行橋」とか「大分」とか地名表示はあれど、さほど遠くない行橋ですら番号がない。道路特定財源云々という語句が頭をよぎったが、そもそも計画に無理がある(かもしれない)道路も大変だな。と、IC を出た瞬間に本線の先に待ち構える、削りかけの丘を通り過ぎながら思った。
01月02日 14:56 なんもねー(復路
昔住んでた家とか学校の横通って、東九州道とかいうせつない道路(空港付近から先で工事すら止まっている…w)経由で空港。
途中のホテルも周囲が草っぱらw電池切れかけやからここまでかな。でわ帰ります〜
道路がそんななので、IC から空港までにかけての周辺地帯もこの有様。JAL の路線が減ると後日ニュースで聴いたが、前途は多難だな。
空港には余裕を持って着くことができた。搭乗手続きの間、2階の出発ロビーで待つ。1階の狭い印象よりはましだが、やっぱりこじんまりしている。人が多いのは正月故か。
展望台のある3階へ昇る中央部。1年足らずで100万人、それは多いのか少ないのか。何にせよ、今回博多空港まで行っていたら大変さ数倍増しだったに違いないので、ともかく今のわたしたちにとっては有り難い施設だ。
このあと、その3階でちょっとお茶して、くまが機嫌損ねたので軽く展望台を散歩して、16時台に出発。飛行機も短期間に2度となると慣れも出てきて、往路ほどのそわそわ感はない。くまも慣れたのか、それとも単に疲れたのか、帰りの機内ではひたすら寝ていた。わたしは TV が往路と一緒だったので、困ってずっと音楽チャンネルに耳を任せていた。
そして、若干の天候悪化で少々揺れつつも、ほぼ定刻に羽田到着。あとはタクシーでまっすぐ帰宅。父がスーパーへ夕食の買い出しに行き、どっさり平らげて、あとは父の仕事始めまで皆ゆっくりしましょう。おつかれさまでした。
最後に。
空港でお茶する前に、あまりの衝撃にロビーの1階へいちいちまた降りて撮ったものを載せない訳にはいくまい。携帯でも公開したが、もうちょっと綺麗な写真でどうぞ。
01月02日 19:15 たったいま帰宅
つ、疲れた…
あのあと案の定携帯が力尽きてすぐに送れなかったが、最後の最後に空港で発見した大ネタをひとつ。ちょ、メーテルw
※空港案内ロボット。そして北九州は松本れいじの出身地。
小倉の明日はどっちだ。
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