或る小倉日記2014 (8) 都市の乗物・3

以前から「特定のタイプの店」が次々と入れ替わる貸店舗物件が近所にあるのだが、またまた別の店がやってきてしまったようだ。それ自体は関わる気もないからどうでもいいとしても、そこの客が一斉に出てきてバス停占拠するのだけは毎度辟易する。しばらくは乗車タイミングかバス停をずらすとしよう。
さてモノレール撮影報告、今日は思い出トークちょい増しで。

かつては ATO での自動運転に舌を巻いたものだが、それも行われなくなって久しい。

乗務員室を観ると、開業当初のワンシーンが思い起こされる。
小学生対象の体験乗車イベント。知らぬ間に母が応募しており、参加することになった。乗務員室から無線でやりとりする役に選ばれ、マイク片手に「了解」と言ったところ、地元 TV 局(確か KBC)に「声が小さい」と駄目出しを食らってテイク2。帰宅後、ローカルニュースでバッチリ流されていた。
それより、そんな鉄ヲタ向けイベントに女子小学生を連れて行こうと思った母の真意が謎。工場見学の延長みたいなもんですかね。

ともかく、次に降りたのは競馬場前。

その名の通り競馬場の真ん前である。さすがに平日朝は閑散としていた。
正面ゲート大屋根の奥にちらっと見える、段々型の建物は北九州市立大学。センター試験の会場だった。大学自体の試験も受ける予定だったが、その前に第一志望に受かったので不要となった。

そこから隣駅・北方まで歩くことにしたのは、運賃を浮かす意図ではない。

実はこの中に「元自宅」が写っている。
自室からもモノレールは俯瞰できていた。当時の自分にデジカメを貸したい。

中学の頃、北区で一時同居していた祖父母がやっぱり別居することになり、3人で 5LDK は広すぎると 3LDK の家を探して移ってきたのがこの界隈。以後、高校を出るまで4年半ほど暮らした。別居は主に祖父の希望で、祖父が集団生活に向かないことにここで気づいておけば後年の展開も違ったんだろうが、まあそれはそれ。
転入した中学はすばらしくヤンキー気質な校風で、正直あまりいい思い出はないが、競馬場周辺も校区に含まれていたからか、マラソン大会で敷地内を走ったのは記憶している。ただし、馬がレースで走るコースではない。

高校はバス通学だったが、小倉中心部へ出るだけでも20分近くかかる。休日などさっさと移動したい時には、所要時間が半減するモノレールを使っていた。そんな時によく歩いた、馴染みの道を行く。

フォルクスが吉徳に変貌しているなどの経年変化こそあれど、北方駅への道は大筋であまり変わらぬ風景。

南北に走る国道をあらかじめ西岸に渡っておくと、こちらから昇れるエスカレーターが使いやすくて便利なのも変わらず。

最寄りの交差点は「北方停留場」という。

その名の通り、昔は電停があった。実際にはこのバイパス沿いではなく、東側に並走する本来の国道上、北方一丁目バス停付近だったようだが、近隣には違いない。
わたしがまだ小さい頃、九州を離れていた時期に、小倉中心部に先立って廃止された西鉄の路面電車、北方線。その代替路線としてモノレールが作られたことを示す、数少ない名残だ。でも英語表記は Monorail。

1階が道路、2階が改札、3階がのりば。壁に覆われた相対式ホーム。今もなお「モノレールの駅」というとどこへ行っても「この形状に似ているかどうか」を基準に考えてしまう。
当駅自体に関しても、部活で遅くなったときの出来事など思い出はいろいろあるが、きりがないので心の中にとどめておこう。

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