平和の国のレイルウェイ (13) 歴史を語る

まる3日空いたのか。随分休んじゃった気分。でも色々たてこんできたので、ちょいちょい飛ぶかも。さて、広島の続きを。

庫内の話は後でまとめて。そちらを回って屋外に戻ると、目の前を駆け抜けるなにか。

…こ、これは…アレをやらねば。是非。

やってみた。親子 max。しかし「子」の方、やたらよくできてるな。屋根上の機器とか普通はごまかされやすい気がするんだけど。

場内を見渡すと、わたしたちのような大人だけの人より親子連れの方が多く感じるほど。日陰でひと息ついたところで、回りきれてない方へ足を運ぶ。
ハノーバーの横を抜け、ムーバーと少し離れて置いてある花電車を通過。

到着した時、ちょうどここをステージにしてアイドルが歌っている最中だった。実はユニット名を聴いた瞬間「あっ、ぱふゅの後輩…」とすぐ判ったのは秘密。まぁ広島やし、ご当地ってことで。

その近くで静かに展示されていた1両。そうか、これが話に聴く被爆電車か。と遠目に眺めていると、係員さんがなにかを動かしている。

コーンの配置が変わった。…ん? 出入口への動線ができたよ? しかもドアも開いたよ?

もしかして今から中見せてくれるんですか。

本当にそうだった。まさかこの内部まで観れるとは、と彼氏さん大喜び。というか、さっきまで開いていなかったものが通りかかったタイミングで開くって、もしやこれもネタ体質の一環なのか。
ということで、おじゃましまーす。

運転台にはさまざまな時代が共存している。見切れてるけど、しっかり PASPY 対応な辺りが現役の印。

これがいわゆる「レトロ風」ではなく本物のレトロだと一番実感したのは、この乗降扉の木の組み方を観たときかもしれない。

そして、近年はすっかり観なくなった方式の窓。

行先表示も板の差し込み式。

自分の親も生まれてないような時代の車両が、受難を経て何十年も頑張っている。そのこと自体すごいし、それを可能にしている広電もすごい。

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