蒼い弾丸のキセキ (1) パッセンジャーの視点
17 Mar 2010
幹鉄仲間さんたちの間で「500系の思い出シリーズ」が流行っているので、わたしも便乗。というか、皆様の写真を拝見していたら自分の記憶もついでに出るわ出るわ。長文書きとしては書かずにいられない。3代目ぶろぐで既出の話が多いけど、09年より前のわたしを知らない方にはわりと新鮮に読んでいただけるかも。
1999.02.25 / 新大阪 / 6A / SANYO DSC-1(推定)
生まれて初めて500系のぞみを体験した、記念すべき瞬間。機材は97年に買った正真正銘の初代デジカメ。この画質の悪さに時代を感じる。
で、これは東京で就職のため家を探しに行くときに偶然当たった。以前記事にしたように発車案内板と特急券という最強の証拠物件があったので 6A と判明。乗り鉄属性が活きたようだ。
…が、この年から「空白の8年間」に突入してしまった。そのために数々のおいしいシーンを逃しまくったことは、仕方ないとはいえ今でも悔しい。
2007.10.12 / 新大阪 / 18A / PENTAX Optio A10
「空白」の後。様々なきっかけと転機が積み重なり、鉄モード復活と相成った。
それでいきなり鉄道博物館のオープン初日に突撃したわけだが、その時に初めて「狙って乗った」1本。でも写真は見事に鼻切れ。リベンジは翌月中旬(↓のライブの後に再度上京)までお預けとなったが、その後も毎回上京の度に入線は撮り続けた。
2007.11.04 / 東京 / 17A
TM と大ちゃんの2日連続ライブで上京した時のこと。夕方のライブを前にして、初めて(しつこいな)「新幹線を撮るためだけに入場券で駅に入る」という行動に出た。だから、厳密にはこの日が撮り鉄デビュー戦?
狙ってもないのに K47 が一緒に写っているのはビギナーズラックか。
2007.12.30 / 新大阪 / 41A(左)・191A
とにかく、席さえ取れれば常に W に乗っていた。07年最後の復路は普通車が取れなかったので、初のグリーン車。3分後にくっついてきた臨時と見事並んだのは、わたしの乗った定期の方が多客で自由席乗降に手間取ったから。乗車中を含め、この時のテンション爆上げっぷりは半端なかった。
2008.02.06 / 東京 / 33A
家庭の事情で緊急上京した復路。ちなみに往路も W(10A)。色々大変だったので、自分を元気づけるとか、自分ごほうびとか、そういう意味で乗っていた。
このギャラリーの少なさ、2年後のカオスを思うと感慨深い。そして新大阪で21番線へ降りたら23番線に黄色さんがいたけど、条件の悪さ故か、ホームが祭りになっていた記憶はまったくない。
と、そもそもは「乗った記念に撮る」というスタンスで始まった、わたしの500系ライフ。これが急激に「わざわざ撮りに行く」へ変わっていったのは、2008年の幕開けとともに人生をリセットしたことと無関係ではなかったと思う。
Comments
おはようございます。
前記事のアーティストさんのネタも気になる所ですね。今後、東海道新幹線の沿線に女性ファンのカメラマンが増えたりして・・・^_^;レンズはEF24-70mmF2.8Lとかかもしれません。
1枚目の写真を見て、そう言えば以前は26番線の脇にも斜めに看板が設置してあった事を思い出しました。今は新しくホームを作るから撤去したのでしょうね。
1999年だと就職していた事もあり、車に嵌っていた時期で、空白の7年間に突入していました。とは言えその頃に一度だけ名古屋から東京まで500系に乗っているんですよ。何となくそれも思い出しました^_^
って、あまり本文とは関係ないコメントになってしまいましたm(_ _)m。続きも楽しみにしています。
おはようございます。
前記事ですが、ファンの皆様の興味は脱輪そのものに集中してまして、そこが撮影地だと気づいた方はほとんどいないと思いますw
標準域でF2.8、やはりそのレンズ辺りでしょうか。室内撮りが主目的のはずなので、明るい物をお求めになった可能性は大いにありそうです。
26番線の看板のあった辺りは、今は工事用のちっちゃい重機が置いてあります。
「空白」の時期、うちと若干かぶってることになりますね。鉄道趣味を続けるハードルのひとつが就職、と以前どこかで読んだ事があるんですが、結構そこで離れた方も居られるかもしれません。そして時々こうして戻ってくる方も居る、と。
思い出記事につられて思い出が浮かぶのも、また楽しいですね^_^
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