記憶と発見の燈 (1) 雅の歩み

ドライヤーがくたびれてきたため、先日買い換えた。うちは2人とも風量重視派なんで、大風量モデルを注視、結局鉄板のパナに落ち着いた。いやーよく乾いてうれしいわ〜。多分髪が短くなった影響だけじゃないと思うよ。
さて、桜ネタと連休ネタで追いやられていた古い話をそろそろ出すか。まずは3月中旬のおでかけから。

そのイベントを2人で楽しむのは、これが4回目。引っ越しでそれどころではなかった昨年等を挟み、3年ぶりとなる。

いまやすっかり春の京都を代表する催しとなった感のある、東山花灯路。我々にとってはだいぶお手軽さが増した。日帰り圏内の住民となって宿の心配は無用、明るいうちに別方向の日帰りレジャー(舞洲のアレ)をこなすことも可能だったわけで。
折しも会期終盤は3連休と重なり、人の多さに覚悟を決めて早めに現地入り。

粋な暖簾が来る人を迎える。といっても、この手のお店に入るご縁はなかなかないもんですが。

しばし歩いて、やがて石塀小路の入口にさしかかる。

ここ数年、着物を着て歩く人の数は京都全体で明らかに増え続けている。自分で着るのもまた一興なのだろうが、カメラを持ちやすい格好とは到底言い難いのがアレだな、というのはさておき。

石畳のしっとりとした質感が、あたたかな色の光を引き立てる。

玄関先では水鉢が花を添える。

石塀小路のハイライトは、やっぱりあのクランク。

前にも後ろにも着物姿のおねえさんが複数。和の趣を楽しむ人は、その存在がそのまま京の風景の彩りに一役買っているとも言える。

点灯から経過の浅い18時台前半なのが幸いしたか、静かな瞬間を堪能することができた。

そのまま小路を抜けた後、ほぼ真正面の階段を上がれば、入口から少々続く直線をプチ俯瞰のような形で観ることになる。この立ち位置が後で思わぬ効用を発揮することになるとは、その時点では知る由もなく。

では坂の方まで引き続き歩いていこう。

ところどころに観られる、通りにちらっとだけ覗く細い路地奥の箱庭。おもてから見えることも、きっと最初から計算に入ってのことなんだろう。

犬矢来がブラインドのように光を透かすのも、行灯とはまた違った味わいがある。

すでにこの界隈はかなりの人出。人力車を出すのも大変だろうな。

…ん? こんなところにまでトトロが進出しているとは。前からあったっけ。

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