ささやま城下探訪 (4) 息づく商家
23 Jun 2016
昨日、農家1年目の実家から「初荷」が届いた。小さな段ボールいっぱいの新じゃが。早速一部を肉じゃがにしておいしくいただきました。茄子など他の野菜は虫にやられたというから、まだまだ修業はこれからやね。
では本日も篠山のお散歩から。
街道沿いに並ぶ家々は、上写真でいうと手前2軒のような形状のものが多数。これが重伝建の地区名にも含まれる「妻入」という様式で、家の輪郭が五角形に見える面(=妻)に出入口があるからそう呼ぶらしい。
この奥にもまだまだ家並みは続き、どこまで行くかわからないレベルだったのでこの辺で折り返した。結果として半分くらいは観たことになる。
当時の面影を保ちつつ、なにやらぎっしり詰まった雑貨屋さんがあったので、ふらり入店。この外観からは想像もつかないようなワールドワイドな品揃えに驚いた。この店も含めて、現役で商店をやっているところが少なくない。そういう意味でも、江戸の賑わいに思いを馳せやすい状況。
その他見かけたものをあれこれと気の向くままに記録。
この手のおうちが奥行きたっぷりなのはデフォです。空いたところを中庭としている施設もあった。
家によっては、立派なうだつが上がっている。本来の用途より装飾面に重きを置いた形状やね。
江戸の名残ある町並みとは別のベクトルで、懐かしさ満点な本屋さん。昭和の頃に身近だった書店は、往々にしてこうやって屋外に棚があったものだ。
ひな人形があふれるほど飾ってあった鳳凰会館はこちら。そもそもは明治に入ってからできた銀行だったようで、それなら妻入構造じゃないのも納得。
ところで、商家群の入口付近に、さらに別のベクトルで気になるものがあった。
はて、園篠線とな。そんな線あったっけ。と首をひねりつつ、商家見物後に関連するものを探しに行ってみると、このすぐ近くにあった。
バス停。この上屋と柱のせいか、なんとなく駅っぽい。
だがモニュメントの言う通り、園篠線は最初からバス路線だった。行き先は園部。戦前から今世紀初頭まで国鉄〜JR が運行し、現在は民間2社に分割されて別々の路線として存続している。
ここからも漂う昭和感。いったいどのくらいの間、時が止まっているのだろうか。
なお「園篠線」の響きから想像した鉄道はというと、戦中に同じく園部を目指して一部開通したものの、終戦で延伸頓挫、30年もせずに廃止された篠山線という路線が別途存在していた。まあ正直、仮に全通していても赤字は免れなかった気がする。
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