或る小倉日記2007 (1) 西へ

謹賀新年でございます。此処数日みくしに潜ってましたが、庭もそろそろ営業再開といきましょう。ネタ溜まってるし。

さて、まず最初は予告通り小倉ツアーのまとめをぼちぼち始めようかと。多分すげー時間かかりそうなんだけど、だからこそ今からやって後に引けない状態作らないととても無理。千葉にいる間になんとかできれば理想的。
ちなみにタイトルは森鴎外と松本清張から拝借。だって小倉だし。ゆかりのある二大文豪だからね。

もくじ

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。

12月31日 12:32 羽田きたぜー
7年くらいぶり。こんな綺麗やったっけ?@南ウイングSFJ受付前。


羽田最後の記憶は97年初夏、必死で上京を重ねていた頃のこと。本当は99年にも広島出張で来ているはずなのに、疲れのためか何も覚えていない。97年に観た羽田は、恐ろしく広いショッピングエリアと高い吹き抜けの絵だけが頭に残っている。そう、あのときもとても綺麗でまぶしい構内だったから。
あれから、9年。もっと古びていてもよさそうなものなのに、第1ターミナルは南から北まで綺麗なものだった。知らぬ間に改装でもしたのか。

ともかく、うっかり南ウイングから入ってしまった。北ウイングの果て、スターフライヤーの窓口へと一生懸命歩く。預ける荷物は父が持っていってくれたとはいえ、手荷物にしかできないくま荷物が重い。くまも重い。人手がたくさんあったのが救いだ。

12月31日 12:54 (タイトルなし)
昼食ハヤシ。
ところで幼児同伴の搭乗券初めて見た。こんなんなってるんやー。へー。


くま関係で時間がかかることを見越して相当余裕を持って来たので、搭乗まで若干間がある。父行きつけの軽食喫茶へ移動し、てきとうに注文。くまにはベビーフード。

搭乗券は個人情報満載なので加工してあるが、わたしの氏名年齢性別の横に「(同伴幼児:」でくま氏名等、そして別紙で「幼児搭乗券」、座席番号なし。他社がどうかは知らないが、スターフライヤーはこういう書式らしい。遥か昔、わたしを乗せたときもだいたいこんな感じだったと母は言った。

眼下に手荷物検査の列。どの列を選んでも、どちらにしろある程度は並ばざるを得ない。店を出てしばし並び、問題なく通過。動く歩道を含めて延々と歩き、スターフライヤー御用達の、きわめて奥まった搭乗口へ。最後にくまのトイレ交換と、自分もトイレ、などとやっていたら、いつの間にか優先搭乗が始まっていた。あわてて荷物を抱えて向かう。
優先搭乗。これはどの航空会社でもそうなのかは知らないが、3歳未満のこども連れは一番最初に乗せてもらえる権が発生するらしい。当然ながら初めて知った。

座席は一番後ろの3つ。そこを目指して機内へ。そしてそこで初めて、座席配列が「3人×2」だったことを知る。ふつうにジャンボジェットの配列に慣れきっていたので、ひとりプチ驚き。
荷物をしまい、離着陸時くま固定用のだっこひもを装着だけしておいて、出発を待つ。くまは暇そうに、父・母・わたしの間をだっこで渡り歩く。その間に、予約で満席、と案内された機内はみるみるうちに人で埋まる。他にもちらほらと、幼児同伴組が。お互いおつかれさま。

ほぼ定刻に飛行機は動き出した。滑走路に入る寸前、くまを固定。さあ行くぞー。
ジェットエンジンの豪快な響き。一気に加速し、溜めて溜めて、ふいっと重心が斜め後ろに持っていかれる。飛んだー。
その瞬間、くまが「あはっ」と笑顔でひと声あげた。
なんだその余裕。初飛行機とはとても思えん。くま、やっぱり乗り物大好きなのね。前方で泣く子の声を聴きながらそう思った。…そして、高校の修学旅行、飛行機慣れしていない田舎者集団(自分たちのことだ)が離陸と同時に大興奮で拍手喝采、馬鹿騒ぎしたのを、つい思い出した。

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