或る小倉日記2007 (14) 一本道を前進せよ

はい、今夜から横浜ですよ。土日はソロ外出してしまえばお気楽なので、なんとかなるんちゃうかと。まだ郵便転送とか全然やってないし。来週平日が勝負。
そんなわけでこっちもさくさくいかんとね。お散歩編はここまで。ま、メインイベントはだいたい終わったので、あとは最後のあのネタまでまったりとした時間が続く感じなんだが。でもさすがに次回くらいで元日終わりたい。

もくじ

ごあんない(毎回掲載しますよ)

このシリーズは、mixi 先行公開(というか生中継)していた06年大晦日〜07年正月の小倉滞在の模様を、みくし日記の文と携帯写真を下地に、まともなデジカメ写真を追加して再構成したものです。


此処だ。
あの日、着いた頃には日も暮れかかっていたはず。南口の南側エスカレーター。


明日皆で集まる約束を確認して、わたしはエスカレーターに乗った。
N は下からこちらを見上げ、微笑とともに手を振った。

その翌日起きたひとつの事件は、もうあのとき起こるべく道筋付けられていたのかもしれない。いや、もしかしたら高校の時からずっと。あるいは更に前、同じ高校に入ると知った日から。
だからわたしは忘れないのだろうか。片っ端から溢れるように出てくる彼の記憶を。

そうだとしても。
小倉駅が平和通駅になり、形を変えたように。わたしたちもまた変わり、お互いの知らない誰かになってゆく。最後に会った日、既にそれは始まっていたのだから。
わたしではない他の誰かと、確固たる幸せに向かって。
その過程を観たくないという思いが、わたしをこの10年近く小倉から遠ざけていた。そしてその間に彼は、あの頃の友達も先輩も後輩も誰も、消息を掴めない存在に変わっていた。
もし N が今もどこかで元気ならば。彼にとっては、わたしが消息不明なのだ。情緒不安定ながら、とりあえず五体満足でこの通りやっていたとしても。

彼は此処にいない。きっともう会えない。わたしはそれを確かめにきたのかもしれない。
さよなら。そろそろ帰るよ。モノレールでね。


開業当時からそうだったように、この駅の南口は小さい。北口に本腰入れているから仕方ない。
現小倉駅に、旦過までは100円、と書いてあった。それを思い出し、駅係員に申し出て、100円のきっぷを買った。


やはり今となっては、この駅の存在価値は微妙なラインにあるようだ。人影まばらなホーム。その気になれば小倉駅まで歩ける距離だし、南下するためにこの駅に寄るというのも半端だからね。
「今度の発車」がどちら行きかを告げる掲示だけが、かつて始発駅だった名残。


ほどなくモノレールはやってきた。昔通りの真っ青なラインで。
実は、この先頭車両に乗ったことがある。開業から間もない頃、小学生向けの体験乗車イベントで、乗務員の指示にトランシーバーで応答する役になった。「了解」のひとこと。その一瞬の、声が小さいと駄目出しされた後のテイク2が、ローカルニュースで流された。


当時と何も変わらない、継ぎ目に壁のない筒抜けの4両編成。昼過ぎたこともあって、さすがに人が少し増えてきた気がした。
そしてあっという間に、モノレールは小倉駅の中枢に滑り込んで行く。


ホームの端まで行ってみたら、突き当たりの壁は透明になっていた。やっぱり平和通駅は近い。


ホームの囲いも同じ素材だろうか。他駅は透明な板ではなくパイプの格子だった。後から作った故の改良か、駅全体のデザインの兼ね合いか。しかしその向こうも透けているとなると、高いところが苦手な人は要注意だ。


そして駅の新しさは、何よりも電光掲示板にあらわれていた。当然その方が便利だろうが、従来の空港方式(ベストテンの順位表示みたいなパタパタのあれ)じゃないところに、なんだか違和感。


ともかく改札を出たら、あとは来た道を辿り、駅構内を抜け、デッキを通ってホテルに戻るだけ。
向かい側からやけに人が来ると思ったら、ラフォーレのセール帰りの人だった。もうすぐ閉店なので最後のセールをやってるらしい。やはり採算面の問題か。
綺麗なのに空いてる北側と、ごちゃっとしたままでやっぱり空いてる南側。あの商店街の風景と重ねたら、父が言った「寂れてる」の意味が、少し判った気がした。要するに、博多には勝てなかったんだね。

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